2007年11月26日
佐藤克文「ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ」光文社新書
「ハイテク海洋動物学への招待」という副題を持つこの本の内容は、とても楽しい。一つは内容が分かりやすいのに非常に興味深い知見に満ちているおり、もう一つは新しい学問の創世記にだけ生まれる興奮に満ちているからだ。ペンギンやアザラシ、ウミガメなどの海洋生物の生態、特に水中にいるときの生態はほとんどわかっていない。何しろ簡単には観察できないのだ。まして極地の近くに生息するペンギンなどは氷の下を遊泳しているから、観察は難しい。生体に電波の発信機を付けても、水中では、電波は基本的に使えない。
そこで、考え出されたのが、ペンギンなどにデータロガーという記録装置を付けて、これを回収するという方法だ。しかしこの方法は、データロガーを付けた個体が、元の場所に戻ってくるという習性を持っていないと使えない。ウミガメは産卵のために2週間ほどで同じ砂浜に帰ってくる、そこでこの間にデータロガーを付けて回収する。ペンギンは、子育ての間中、つがいの他方が餌取りに出かけ、やがて営巣地に戻ってくる、そこで餌取りに出かけるペンギンにデータロガーを付けて回収する。
そうやって集めたデータから、水中でのこれらの動物の振る舞いを読み取り、水中生物の基礎的な情報を集め、その振る舞いを記述していく。なぜ母親アザラシは、餌取りに関係のない水面近くの遊泳を繰り返すのか、ペンギンは浮上するとき、なぜ胸びれを動かさないのか、そうした問いは、動物の行動については、きわめて基本的なものらしい。そうな基本的なこともまだわかっていないという。そしてそうした基本的な事項を一つ一つ解いていく、そこには、まだ誰も知らない事実や行動を発見していく喜びが満ちている。
一つの学問が立ち上がろうとしている現場の近くまで、この本は読者を連れて行く。ペンギンが水中に潜る氷の開口部のように、未知の世界へのわずかな覗き窓がそこにある。思わず、首を伸ばしてその窓から、氷下の世界、深度300メートルの世界を覗き込みたくなる。
そこで、考え出されたのが、ペンギンなどにデータロガーという記録装置を付けて、これを回収するという方法だ。しかしこの方法は、データロガーを付けた個体が、元の場所に戻ってくるという習性を持っていないと使えない。ウミガメは産卵のために2週間ほどで同じ砂浜に帰ってくる、そこでこの間にデータロガーを付けて回収する。ペンギンは、子育ての間中、つがいの他方が餌取りに出かけ、やがて営巣地に戻ってくる、そこで餌取りに出かけるペンギンにデータロガーを付けて回収する。
そうやって集めたデータから、水中でのこれらの動物の振る舞いを読み取り、水中生物の基礎的な情報を集め、その振る舞いを記述していく。なぜ母親アザラシは、餌取りに関係のない水面近くの遊泳を繰り返すのか、ペンギンは浮上するとき、なぜ胸びれを動かさないのか、そうした問いは、動物の行動については、きわめて基本的なものらしい。そうな基本的なこともまだわかっていないという。そしてそうした基本的な事項を一つ一つ解いていく、そこには、まだ誰も知らない事実や行動を発見していく喜びが満ちている。
一つの学問が立ち上がろうとしている現場の近くまで、この本は読者を連れて行く。ペンギンが水中に潜る氷の開口部のように、未知の世界へのわずかな覗き窓がそこにある。思わず、首を伸ばしてその窓から、氷下の世界、深度300メートルの世界を覗き込みたくなる。
2007年11月26日
要約筆記を使って実現すること
以前に、中失難聴者が、すべての音声を回復したいと願うのは当然の要望だと書いた。音声認識の技術や人工内耳の更なる改良などが、そうした要望に応える日がいずれ来るだろう。とはいえ、それは今日ではないし、明日でもない。
要約筆記に関わっている中で、時に感じるのは、以前にもこのブログに書いたのだが、音声情報のすべてを回復したいという中失難聴者の要望の強さだ。先日も、ガイドツアーの時に要約筆記者が「鳥の声が聞こえる」「鴬が鳴いている」と書いてくれてとてもうれしかった、是非書いて欲しい、という話を聞いた。ガイドツアーの解説を筆記した上で、ということだろうけれど、鳥の声や小川のせせらぎといった音も含めて、音声情報を回復したいという要望は強い。
音声情報のすべてを回復したいという要望それ自体は、当たり前のことだと思うが、現状では、その要望を受けとめるのが「要約筆記者(要約筆記奉仕員)」だというところに様々な問題の出発点があるような気がする。音声情報のすべてを回復したいという要望を実現するには、音声認識や人工内耳などの更なる改良が必要だろう。そのためには、行政を動かし、研究開発に予算を付ける、という運動がなければならない。かつて全難聴の福祉大会で、音声認識技術のデモが行なわれたことがあった。すべての音声情報の回復を真剣に求めるなら、こうした運動は避けては通れないはずだ。聴覚障害者の「すべての音声情報を回復したい」という要望が、行政や研究者、さらには福祉関連企業に真剣に受けとめられるなら、IT技術の進歩と共に、事態は思っているより早く改善される可能性がある。
しかし、現実を見回すと、音声情報のすべてを回復したいという要望を一番真剣に受けとめているのは、聴覚障害者本人およびその家族を除けば、要約筆記者ではないだろうか。音声情報のすべてを回復したいという要望を受けとめた要約筆記者は、どうするだろうか。まず文字数を増やしたいと考えるだろう。手書き文字の場合、整った字で書ける限界は、個人差はあるものの60から70字/分だと思う。それを超えた文字数を求めれば、いきおい、文字は乱れ、書き殴りに近づく。それでもとうてい話しことばそれ自体をそっくり書き起こした場合の文字数には及ばない。話し手の言葉をできるだけそのまま書こうとすれば、一部は書けても、残りの大部分は書き落とす、ということの繰り返しになる。全体を書き落とすまいとして体言止めや助詞止めを増やせば、「ぶち切れの筆記で話し手の雰囲気が分からない」と言われる。かといって文末をそのまま書いていたのでは、どんどん遅れてしまう。「講師が冗談を言ったら、私たち聞こえないものも一緒に笑いたい」と言われれば、確かにその通りだと感じるから、冗談も書き取ろうとし、書いている間に本論は進み、後からシートを読み返すと、本論も冗談も区別ができず、まるで論旨の通らない筆記になっていることを知ってがっくりする。
音声情報のすべてを回復したいという要望それ自体は、間違っている訳ではないし、当然の要求だ。しかし、と私は思う。音声情報それ自体の価値とは何だろうか。いや、音声情報それ自体にも価値はあるのだが、私たちは音声情報を使って何かをしようとする、そういう側面が本当は高いのではないか。講師の講義を聴くとき、講師の声にうっとりしたいのではない。講義の内容を知り、学びたいのだ。人の話を聴き、自分の意見を言い、要はコミュニケーションしたいのだ。社会の情勢や緊急事態について知りたいのだ。確かに情報は、文字によっても伝えられる。新聞や週刊誌、多数の書籍、あるいは文字放送によっても情報は伝えられる。しかし音声情報によって最初に伝えられるという情報も少なくない。映像を得意とするテレビでさえ、音声を消してみれば、内容の過半は理解できない。
現代は情報化社会だと言われる。「情報化社会」とは、とりもなおさず、情報が価値を生む社会ということだ。情報それ自体が価値なのではない。その情報を使って価値を生み出す社会ということだ。要約筆記は、そのためであれば、機能させることができる。要約筆記を使って講義を聴く、内容を知る、会議に参加する、議論する、そういうことは要約筆記を使って可能だと私には思える。もちろん、参加を支える情報保障を実現することは簡単ではない。簡単ではないが、実現可能な目標だと私には思える。しかし、音声情報のすべてを回復することは、要約筆記の仕事ではない、と思う。音声情報のすべてを回復したいという要望を、要約筆記者は理解することができる。その理解に立って、聴覚障害者の切実な願いを、社会に実現していく運動に共に加わることもできる。その運動のための意志決定や判断を支える情報を提供する仕事、要するに情報保障の仕事を担うことは喜んでする。情報保障の制度をこの社会に根付かせ、使えるものとして維持することは、私たち要約筆記者の切なる願いだ。
しかし、音声情報のすべてを回復することは、要約筆記者が自らの筆記で実現することではない。音声情報の丸ごとの回復を、要約筆記それ自体の目標にしてはいけない。音声情報のすべてを回復したいという願いを、中失難聴者の身近にあって理解してきた要約筆記者の存在は、中失難聴者の運動にとって、とても大きかったと思う。ただ、その要望を理解することが、要約筆記にできることとできないことの区別を曖昧にした、ということは否めないように思う。
音声情報のすべてを回復したいという要望と、音声情報を利用して何かをすることの意義とを、切り分けていくという作業が、要約筆記にとって、今、最も求められているのではないだろうか。音声情報のすべてを回復したいという要望を正しく理解し、その要望が存在することは認めつつ、音声情報を使って何かをする、自分たちの福祉の運動を進めようとする、学ぼうとする、働こうとする、社会に進出していこうとする、そういう中失難聴者のために、音声情報を使える形で提供する要約筆記を実現する、と考えたい。端的に言えば、「音声情報それ自体を回復するのに要約筆記を使う」のではなく、「自らがやりたいことに取り組むために要約筆記を使う」ということだ。後者の立場を徹底すれば、要約筆記者が何をすべきかは自ずと見えてくると思う。
要約筆記に関わっている中で、時に感じるのは、以前にもこのブログに書いたのだが、音声情報のすべてを回復したいという中失難聴者の要望の強さだ。先日も、ガイドツアーの時に要約筆記者が「鳥の声が聞こえる」「鴬が鳴いている」と書いてくれてとてもうれしかった、是非書いて欲しい、という話を聞いた。ガイドツアーの解説を筆記した上で、ということだろうけれど、鳥の声や小川のせせらぎといった音も含めて、音声情報を回復したいという要望は強い。
音声情報のすべてを回復したいという要望それ自体は、当たり前のことだと思うが、現状では、その要望を受けとめるのが「要約筆記者(要約筆記奉仕員)」だというところに様々な問題の出発点があるような気がする。音声情報のすべてを回復したいという要望を実現するには、音声認識や人工内耳などの更なる改良が必要だろう。そのためには、行政を動かし、研究開発に予算を付ける、という運動がなければならない。かつて全難聴の福祉大会で、音声認識技術のデモが行なわれたことがあった。すべての音声情報の回復を真剣に求めるなら、こうした運動は避けては通れないはずだ。聴覚障害者の「すべての音声情報を回復したい」という要望が、行政や研究者、さらには福祉関連企業に真剣に受けとめられるなら、IT技術の進歩と共に、事態は思っているより早く改善される可能性がある。
しかし、現実を見回すと、音声情報のすべてを回復したいという要望を一番真剣に受けとめているのは、聴覚障害者本人およびその家族を除けば、要約筆記者ではないだろうか。音声情報のすべてを回復したいという要望を受けとめた要約筆記者は、どうするだろうか。まず文字数を増やしたいと考えるだろう。手書き文字の場合、整った字で書ける限界は、個人差はあるものの60から70字/分だと思う。それを超えた文字数を求めれば、いきおい、文字は乱れ、書き殴りに近づく。それでもとうてい話しことばそれ自体をそっくり書き起こした場合の文字数には及ばない。話し手の言葉をできるだけそのまま書こうとすれば、一部は書けても、残りの大部分は書き落とす、ということの繰り返しになる。全体を書き落とすまいとして体言止めや助詞止めを増やせば、「ぶち切れの筆記で話し手の雰囲気が分からない」と言われる。かといって文末をそのまま書いていたのでは、どんどん遅れてしまう。「講師が冗談を言ったら、私たち聞こえないものも一緒に笑いたい」と言われれば、確かにその通りだと感じるから、冗談も書き取ろうとし、書いている間に本論は進み、後からシートを読み返すと、本論も冗談も区別ができず、まるで論旨の通らない筆記になっていることを知ってがっくりする。
音声情報のすべてを回復したいという要望それ自体は、間違っている訳ではないし、当然の要求だ。しかし、と私は思う。音声情報それ自体の価値とは何だろうか。いや、音声情報それ自体にも価値はあるのだが、私たちは音声情報を使って何かをしようとする、そういう側面が本当は高いのではないか。講師の講義を聴くとき、講師の声にうっとりしたいのではない。講義の内容を知り、学びたいのだ。人の話を聴き、自分の意見を言い、要はコミュニケーションしたいのだ。社会の情勢や緊急事態について知りたいのだ。確かに情報は、文字によっても伝えられる。新聞や週刊誌、多数の書籍、あるいは文字放送によっても情報は伝えられる。しかし音声情報によって最初に伝えられるという情報も少なくない。映像を得意とするテレビでさえ、音声を消してみれば、内容の過半は理解できない。
現代は情報化社会だと言われる。「情報化社会」とは、とりもなおさず、情報が価値を生む社会ということだ。情報それ自体が価値なのではない。その情報を使って価値を生み出す社会ということだ。要約筆記は、そのためであれば、機能させることができる。要約筆記を使って講義を聴く、内容を知る、会議に参加する、議論する、そういうことは要約筆記を使って可能だと私には思える。もちろん、参加を支える情報保障を実現することは簡単ではない。簡単ではないが、実現可能な目標だと私には思える。しかし、音声情報のすべてを回復することは、要約筆記の仕事ではない、と思う。音声情報のすべてを回復したいという要望を、要約筆記者は理解することができる。その理解に立って、聴覚障害者の切実な願いを、社会に実現していく運動に共に加わることもできる。その運動のための意志決定や判断を支える情報を提供する仕事、要するに情報保障の仕事を担うことは喜んでする。情報保障の制度をこの社会に根付かせ、使えるものとして維持することは、私たち要約筆記者の切なる願いだ。
しかし、音声情報のすべてを回復することは、要約筆記者が自らの筆記で実現することではない。音声情報の丸ごとの回復を、要約筆記それ自体の目標にしてはいけない。音声情報のすべてを回復したいという願いを、中失難聴者の身近にあって理解してきた要約筆記者の存在は、中失難聴者の運動にとって、とても大きかったと思う。ただ、その要望を理解することが、要約筆記にできることとできないことの区別を曖昧にした、ということは否めないように思う。
音声情報のすべてを回復したいという要望と、音声情報を利用して何かをすることの意義とを、切り分けていくという作業が、要約筆記にとって、今、最も求められているのではないだろうか。音声情報のすべてを回復したいという要望を正しく理解し、その要望が存在することは認めつつ、音声情報を使って何かをする、自分たちの福祉の運動を進めようとする、学ぼうとする、働こうとする、社会に進出していこうとする、そういう中失難聴者のために、音声情報を使える形で提供する要約筆記を実現する、と考えたい。端的に言えば、「音声情報それ自体を回復するのに要約筆記を使う」のではなく、「自らがやりたいことに取り組むために要約筆記を使う」ということだ。後者の立場を徹底すれば、要約筆記者が何をすべきかは自ずと見えてくると思う。
2007年11月12日
青木幸子「Zoo Keeper」(講談社)
「ZOO KEEPER」の新刊を読み終わる。地方の中規模の動物園に採用された女性(楠野さん)は、赤外線領域まで見えるというちょっと変わった視力を持っている。熱源を見続けると疲れてしまうので、通常は赤外線カットの眼鏡をかけている。この眼鏡は、楠野さんのこの変わった能力を見抜いた熊田園長が誂えてくれたものだ。この園長が持ち出す難題につきあいながら、飼育員の楠野さんは、動物園の存在意義とか、動物と人間の関係などについて考える。その捉え方のユニークなところがこの漫画のおもしろさになっている。
例えば3巻では、チーターの全力疾走を展示する、という話が出てくる。チーターの時速は平均で100キロ。それはチーターが、狩りをするために発達させた運動能力だ。しかし動物園にいるチーターは、全力で走る必要がない。餌は与えられるのだから。では、動物園のチーターは、全力で走るべきなのかどうか。楠野さんが考えるのに付き合っているうちに、人と動物の違いと共通点が、見えてくる。
(写真下は、我が家の愛(駄)犬・ジャミー)
動物と人間との関わりを描いたコミックは多い。「いぬばか」(桜木雪弥)のように、ペットショップを舞台にしたもの、「ワイルドライフ」(藤崎聖人)のように獣医の活動を描いたもの、など切り口も視点も様々だ。「ワイルドライフ」は、獣医(鉄生)が主人公だけに、扱う動物のレパートリーは広い。まして主人公・鉄生は、どんな患畜でも救いたいと願っているので、ほ乳類はもちろん、鳥類、は虫類も、患畜として登場する。今まで知らなかった様々な動物の生態を知るのは楽しいものだ。
ところで、この鉄生君については、獣医大に在籍してるとき、教科書を逆さまに読んでいた、というエピソードが語られる。最初そのことに気づいた同級生は「こいつは馬鹿か」と思うのだが、その直後、鉄生が、深い意図を持って教科書を逆さまにして読んでいたことに気づく。彼は、教科書に掲載された顕微鏡視野の写真を様々な方向から見るために教科書を逆さまにしたり横にしたりしていたのだ。鉄生は、言う。「本当の試料は、いつも同じ方向から見るとは限らないだろう? そのことで、患畜の病気の原因を見落としたり間違えたりしたくないからな」と。
この話は、「ワイルドライフ」のだいぶ後の方(10巻過ぎ・・たぶん)になって出てくるのだが、この台詞にはシビレた。そのせいで既に二十数巻になったこの「ワイルドライフ」という本を読み続けているような気がする。およそ、専門家と呼ばれる者はこうでなくてはいけない。一つの専門を学ぶとき、そこには教科書やお手本があるだろう。しかしそれは用意された教科書でありお手本なのだ。どんな事象であっても、現実はもっと豊かで複雑なものだ。教科書やお手本は、その豊かで複雑な現実を、ある類型に従って整理したものに過ぎない。本当にその専門性をきわめようとするなら、教科書やお手本の向こうに、豊かで複雑な現実があることを理解していなければならない。
話しことばによって語られた内容を理解し、書きことばによってその内容を伝えるようとする要約筆記者は、豊かで複雑な言葉とその言葉で表わされる豊かで複雑な「話し手の意図」を相手にしているのだ。ならば要約筆記者は、日本語による伝達の専門家でなければならない。専門家を目指す者として、読むべき書籍はいくつもあるだろう。それらの本、例えば全難聴が発行している「要約筆記者養成テキスト」を、時には逆さまにして、あるいは横にして読むくらいの気概を持って学びたいと思う。
「ワイルドライフ」の新刊を読むたびに、あの鉄生の教科書のエピソードをなつかしく思い出す。
例えば3巻では、チーターの全力疾走を展示する、という話が出てくる。チーターの時速は平均で100キロ。それはチーターが、狩りをするために発達させた運動能力だ。しかし動物園にいるチーターは、全力で走る必要がない。餌は与えられるのだから。では、動物園のチーターは、全力で走るべきなのかどうか。楠野さんが考えるのに付き合っているうちに、人と動物の違いと共通点が、見えてくる。
(写真下は、我が家の愛(駄)犬・ジャミー)
動物と人間との関わりを描いたコミックは多い。「いぬばか」(桜木雪弥)のように、ペットショップを舞台にしたもの、「ワイルドライフ」(藤崎聖人)のように獣医の活動を描いたもの、など切り口も視点も様々だ。「ワイルドライフ」は、獣医(鉄生)が主人公だけに、扱う動物のレパートリーは広い。まして主人公・鉄生は、どんな患畜でも救いたいと願っているので、ほ乳類はもちろん、鳥類、は虫類も、患畜として登場する。今まで知らなかった様々な動物の生態を知るのは楽しいものだ。
ところで、この鉄生君については、獣医大に在籍してるとき、教科書を逆さまに読んでいた、というエピソードが語られる。最初そのことに気づいた同級生は「こいつは馬鹿か」と思うのだが、その直後、鉄生が、深い意図を持って教科書を逆さまにして読んでいたことに気づく。彼は、教科書に掲載された顕微鏡視野の写真を様々な方向から見るために教科書を逆さまにしたり横にしたりしていたのだ。鉄生は、言う。「本当の試料は、いつも同じ方向から見るとは限らないだろう? そのことで、患畜の病気の原因を見落としたり間違えたりしたくないからな」と。
この話は、「ワイルドライフ」のだいぶ後の方(10巻過ぎ・・たぶん)になって出てくるのだが、この台詞にはシビレた。そのせいで既に二十数巻になったこの「ワイルドライフ」という本を読み続けているような気がする。およそ、専門家と呼ばれる者はこうでなくてはいけない。一つの専門を学ぶとき、そこには教科書やお手本があるだろう。しかしそれは用意された教科書でありお手本なのだ。どんな事象であっても、現実はもっと豊かで複雑なものだ。教科書やお手本は、その豊かで複雑な現実を、ある類型に従って整理したものに過ぎない。本当にその専門性をきわめようとするなら、教科書やお手本の向こうに、豊かで複雑な現実があることを理解していなければならない。
話しことばによって語られた内容を理解し、書きことばによってその内容を伝えるようとする要約筆記者は、豊かで複雑な言葉とその言葉で表わされる豊かで複雑な「話し手の意図」を相手にしているのだ。ならば要約筆記者は、日本語による伝達の専門家でなければならない。専門家を目指す者として、読むべき書籍はいくつもあるだろう。それらの本、例えば全難聴が発行している「要約筆記者養成テキスト」を、時には逆さまにして、あるいは横にして読むくらいの気概を持って学びたいと思う。
「ワイルドライフ」の新刊を読むたびに、あの鉄生の教科書のエピソードをなつかしく思い出す。
2007年11月11日
加藤徹「漢文の素養」(光文社新書)
文字を持たなかった古代の日本人が、中国の漢字文化に触れてそれをどう消化してきたのか、消化の過程で日本文化が創られていく、その様を、漢文から読み解こうとした意欲的な本だ。要約筆記者養成講座の中で「日本語の特徴」を教えるために、読みあさった何冊かのうちの一冊だが、出色の一冊だった。
昔から、日本語の中で、そのまま形容詞になる色表現は「赤い」「青い」「白い」「黒い」しかないことを不思議に思っていた。「色」を付けて形容詞化するのが、二つ「黄色い」と「茶色い」。日本人にとって、「みどり」は国土の木々の色として、親しみ深かったはずなのに、「緑い」という形容詞はない、「緑色い」ともいうことができない。それはなぜか、とても不思議だった。ちなみに「赤青白黒」は、そのまま方角にもなっており、日本人にとって、最も基本的な色だということは明らかだ。
この「漢文の素養」を読んで、初めてこの4つの色が「明るい」「淡い」「著い」「暗い」という明度を表す言葉から生まれたことを知った。そして古代の日本人はおそらく「色彩」というものを意識しておらず、中国の文化に触れて初めて豊かな色彩感覚を身に付けたのだろうと言うことも。まことに、言葉を世界を切り取る方法そのものであり、世界観そのものなのだと分かる。分かることがぞくぞくするほど楽しい、そういう感覚を、何度か味わせてくれる本だ。
もう一つ、この本を読んで知ったのは、漢文を、弥生時代まではおそらく漢字を単に呪術的なシンボルとして受け入れ、いわば装飾材として用い、やがて仏教を中心とした文化を輸入するために用いられ社会の制度を作り出す生産財として漢文を使いこなし、最後には、漢詩や漢文学といった消費財としたという視点だ。これはきわめてユニークな視点だ。他の言語を一つの社会が受け入れていく場合の受け入れの程度を、この捉え方で計ることができる。
このほか、日本が漢字文化圏では、唯一、本家中国に新漢字を輸出して恩返しをした国だとか、とにかく日頃親しんでいる漢字仮名交じり文としての日本語の背後にあるものをいくつもいくつも気づかせてくれる。要約筆記に引きつけて読めば、おもしろさ倍増であることは保証するが、たとえ要約筆記とは無関係であっても、こんな面白い本はない。
昔から、日本語の中で、そのまま形容詞になる色表現は「赤い」「青い」「白い」「黒い」しかないことを不思議に思っていた。「色」を付けて形容詞化するのが、二つ「黄色い」と「茶色い」。日本人にとって、「みどり」は国土の木々の色として、親しみ深かったはずなのに、「緑い」という形容詞はない、「緑色い」ともいうことができない。それはなぜか、とても不思議だった。ちなみに「赤青白黒」は、そのまま方角にもなっており、日本人にとって、最も基本的な色だということは明らかだ。
この「漢文の素養」を読んで、初めてこの4つの色が「明るい」「淡い」「著い」「暗い」という明度を表す言葉から生まれたことを知った。そして古代の日本人はおそらく「色彩」というものを意識しておらず、中国の文化に触れて初めて豊かな色彩感覚を身に付けたのだろうと言うことも。まことに、言葉を世界を切り取る方法そのものであり、世界観そのものなのだと分かる。分かることがぞくぞくするほど楽しい、そういう感覚を、何度か味わせてくれる本だ。
もう一つ、この本を読んで知ったのは、漢文を、弥生時代まではおそらく漢字を単に呪術的なシンボルとして受け入れ、いわば装飾材として用い、やがて仏教を中心とした文化を輸入するために用いられ社会の制度を作り出す生産財として漢文を使いこなし、最後には、漢詩や漢文学といった消費財としたという視点だ。これはきわめてユニークな視点だ。他の言語を一つの社会が受け入れていく場合の受け入れの程度を、この捉え方で計ることができる。
このほか、日本が漢字文化圏では、唯一、本家中国に新漢字を輸出して恩返しをした国だとか、とにかく日頃親しんでいる漢字仮名交じり文としての日本語の背後にあるものをいくつもいくつも気づかせてくれる。要約筆記に引きつけて読めば、おもしろさ倍増であることは保証するが、たとえ要約筆記とは無関係であっても、こんな面白い本はない。
2007年11月09日
要約筆記サークルと「派遣」
忙しくて、ブログの更新ができない。せめて週1回くらいは更新したいのだが。週末か、出張の列車の中でしか書く時間がない。今日は、研修のために東京を往復。以下は、新幹線の中で書いてきたもの。推敲が足りないところはご容赦願いたい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
以前このブログで、要約筆記サークルと登録要約筆記者の会との関係を巡って、名古屋では、サークルは要約筆記の派遣を引き受けないという整理をした、という話を書いた。これに対して直接という訳ではないが、要約筆記サークルが派遣に関わらないとすることが間違っている、という意見を最近になって聞いた。サークルが派遣に関わることを否定すると、要約筆記の依頼をする側の緊急避難的な依頼の窓口をなくすことになるから、という論旨のようだ。自立支援法ができて、基本的に市町村はコミュニケーション支援のための派遣を行なうことが義務づけられたといえる。したがって、聴覚障害者の人権や命に関わる場合には、原則派遣を受けることができる。まずは、この派遣の仕組みを整えることが第1だろう。
しかし、そうは言っても様々な理由から、制度外の派遣の依頼というものは、残る可能性がある。緊急避難的な依頼とは、どんな場合が考えられ、それについてはどう考えたら良いのだろうか。名古屋でのサークル活動の経過も振り返りつつ、この点を補足したい。
名古屋での要約筆記サークル「まごのて」の活動を振り返ると、1980年代においては、要約筆記者の派遣を含めて、その役割はきわめて大きかった。サークルの設立からの数年間は、要約筆記者の派遣に明け暮れたといっても良い。毎週のように、要約筆記者を探して派遣していたことを思い出す。公的な要約筆記奉仕員派遣制度は、名古屋の場合、厚生省(当時)のメニュー事業より一年早く、1984年に始まったが、サークルによる要約筆記者の派遣は、それ以降も続いた。その内訳を検討すると、派遣規定に乗らない派遣のほか(当初、宗教行事と政治活動は派遣対象外)、有料派遣の派遣費が高額すぎるため、というものが大部分だった。例えば、スクーリングの情報保障。派遣制度を運営する聴覚言語センターは、これは本来は学校側が保障すべきもの、というスタンスであり、有料派遣なら派遣するという。僅か3日間のスクーリングでも、午前午後、それぞれ3名の要約筆記者の派遣を受けると、のべ18名、派遣費用は数万円に達する。学校側が「負担しない」といえば、個人負担になってしまう。そこでサークルに支援の要請がくる、という構図だ。
「まごのて」でも、当初、こうした依頼は引き受けていたが、「安いから」という理由で利用されるのは、どうも腑に落ちないと感じてきた。そこで、当初は、依頼者には「まごのて」に入会してもらい、本来必要な情報保障は、学校側が行なうべきだ、それは校舎の階段にスロープを付けることと何ら変わりがなく、障害の有無にかかわらず、同じ授業を受けるために必要なのだ、ということを学校側に訴えていく運動を共にしよう、という整理をした。そして、要約筆記者をサークルから派遣し、交通費はサークルで負担、依頼者には無料(サークルの年会費を払って頂く)という対応をとってきた。
この時期、要約筆記奉仕員の公的な派遣制度はすでに存在しており、この派遣に乗らない要約筆記の依頼、いわゆる緊急避難的な依頼をサークルが受けている、という関係になっていた、といって良いだろう。なお、「緊急避難的依頼」というと、例えば夜間とか、「どうしても明日」といった依頼のイメージがあるが、こうした緊急性の高い依頼は、むしろ仕事として派遣を担っている公的な派遣制度の方が対応できる範囲は広い。サークルは地域のすべての要約筆記者を把握しているわけではないし、その窓口担当者といつでも連絡が取れるわけではない。公的な派遣制度の方が、時間的な意味での緊急性に対しては強いのではないかと思う。
さて、上記のやり方で、派遣制度に乗らない要約筆記の依頼をサークルで引き受けてきたが、ある時、次の疑問が生まれた。それは、依頼者から見たとき、派遣制度に乗るか乗らないかは、欲しい情報保障の質には無関係ではないか、という疑問だ。要約筆記による情報保障を欲している、ということは、一定以上の質の要約筆記を求めているということであり、「サークル派遣だから情報保障の質については目をつぶる」というのは、本末転倒ではないか。もちろんサークル派遣だから質が低いとは言い切れない。しかし、サークルには、要約筆記をきちんと学んでいない人もいる、講座の中途脱落者だっている、もう長いこと要約筆記の派遣に行っていない人もいる、登録要約筆記奉仕員研修会に出たことのない人もいる、それはサークルの性質上、当然にあり得ることだ。サークルは登録要約筆記者の会ではないのだし、その活動の目的ももっと広いのが普通だからだ。
他方、登録要約筆記者の会はどうか。そこにいるのは、少なくとも要約筆記奉仕員養成講座を受講した人だ。登録後の研修も、本来は受けているはずだ。もしここが、制度外の要約筆記の依頼を引き受けられるなら、それが一番良い。そういう考えを、2006年に結成された登録要約筆記者の会・なごやが、会として認識され、会員の賛同を得た。そして、登要会なごやの中に支援部を作り、公的な派遣制度に乗らないこうした要約筆記の依頼を、引き受けるようになった。要約筆記を依頼する側からみれば、公的な制度に乗った派遣にせよ、乗らない派遣にせよ、情報保障を受けたいという要求に変わりはない。緊急避難だから、情報保障の質がいつもと違ってかまわないという理屈はない。公的な派遣制度を担う要約筆記者(または要約筆記奉仕員)のメンバーが、制度外の派遣であっても情報保障を担うなら、こんなに望ましいことはない。また、登録要約筆記者の会が、そうした制度外の派遣の依頼の件数や内容を蓄積することにより、公的な派遣の範囲を広げる運動にも直接つなげていくことができる。サークルや個人的な対応によって制度外の派遣を処理していたのでは、行政からみれば、「それでまかなえるなら良いではないか」ということになりかねない。
要約筆記による情報保障の場を広げていく活動の初期において、要約筆記サークルが果たした役割は、おそらく日本中のどの地域でも巨大だった。要約筆記サークルができることで、その地域の中途失聴・難聴者の聞こえの保障を押し広げてきたことは間違いがない。しかし、いつまでもサークルの活動に頼ってはいけない、と私は思う。サークル活動の意義は、参加者の自己実現や社会にそれまでなかった支援の萌芽を育てる活動という点ではとても大きい。その活動の中で、障害者が必要とする支援の形が明確になれば、それを公的な領域に移していく、という視点を持たないとサークル活動は硬直化しやすい。サークル員の自己実現が、本来の目的ではないはずなのに、得てしてサークルの存続それ自体や、サークルがそれまでに担ってきた活動への固執、ということなりやすい。「緊急避難」などという言葉が、そうした固執を正当化するために用いられるとすれば、あまりに悲しい。サークルのリーダーは、サークルの役割をきちんと整理し、自分たちが切り開いてきた活動、支援というものが公的な制度に移し替えられていくように努力することが望まれる。自分たちが切り開いてきた活動が公的な枠組みに移されることは、当事者としては少し寂しいが、自分たちには新しい活動が待っている、と受け止めたい。
「聞こえの保障」という広い世界を見渡せば、聞こえが保障されていない場面はまだまだたくさんある。サークルが、取り組むべき先駆的な活動のフィールドはいくらもあるのだから。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
以前このブログで、要約筆記サークルと登録要約筆記者の会との関係を巡って、名古屋では、サークルは要約筆記の派遣を引き受けないという整理をした、という話を書いた。これに対して直接という訳ではないが、要約筆記サークルが派遣に関わらないとすることが間違っている、という意見を最近になって聞いた。サークルが派遣に関わることを否定すると、要約筆記の依頼をする側の緊急避難的な依頼の窓口をなくすことになるから、という論旨のようだ。自立支援法ができて、基本的に市町村はコミュニケーション支援のための派遣を行なうことが義務づけられたといえる。したがって、聴覚障害者の人権や命に関わる場合には、原則派遣を受けることができる。まずは、この派遣の仕組みを整えることが第1だろう。
しかし、そうは言っても様々な理由から、制度外の派遣の依頼というものは、残る可能性がある。緊急避難的な依頼とは、どんな場合が考えられ、それについてはどう考えたら良いのだろうか。名古屋でのサークル活動の経過も振り返りつつ、この点を補足したい。
名古屋での要約筆記サークル「まごのて」の活動を振り返ると、1980年代においては、要約筆記者の派遣を含めて、その役割はきわめて大きかった。サークルの設立からの数年間は、要約筆記者の派遣に明け暮れたといっても良い。毎週のように、要約筆記者を探して派遣していたことを思い出す。公的な要約筆記奉仕員派遣制度は、名古屋の場合、厚生省(当時)のメニュー事業より一年早く、1984年に始まったが、サークルによる要約筆記者の派遣は、それ以降も続いた。その内訳を検討すると、派遣規定に乗らない派遣のほか(当初、宗教行事と政治活動は派遣対象外)、有料派遣の派遣費が高額すぎるため、というものが大部分だった。例えば、スクーリングの情報保障。派遣制度を運営する聴覚言語センターは、これは本来は学校側が保障すべきもの、というスタンスであり、有料派遣なら派遣するという。僅か3日間のスクーリングでも、午前午後、それぞれ3名の要約筆記者の派遣を受けると、のべ18名、派遣費用は数万円に達する。学校側が「負担しない」といえば、個人負担になってしまう。そこでサークルに支援の要請がくる、という構図だ。
「まごのて」でも、当初、こうした依頼は引き受けていたが、「安いから」という理由で利用されるのは、どうも腑に落ちないと感じてきた。そこで、当初は、依頼者には「まごのて」に入会してもらい、本来必要な情報保障は、学校側が行なうべきだ、それは校舎の階段にスロープを付けることと何ら変わりがなく、障害の有無にかかわらず、同じ授業を受けるために必要なのだ、ということを学校側に訴えていく運動を共にしよう、という整理をした。そして、要約筆記者をサークルから派遣し、交通費はサークルで負担、依頼者には無料(サークルの年会費を払って頂く)という対応をとってきた。
この時期、要約筆記奉仕員の公的な派遣制度はすでに存在しており、この派遣に乗らない要約筆記の依頼、いわゆる緊急避難的な依頼をサークルが受けている、という関係になっていた、といって良いだろう。なお、「緊急避難的依頼」というと、例えば夜間とか、「どうしても明日」といった依頼のイメージがあるが、こうした緊急性の高い依頼は、むしろ仕事として派遣を担っている公的な派遣制度の方が対応できる範囲は広い。サークルは地域のすべての要約筆記者を把握しているわけではないし、その窓口担当者といつでも連絡が取れるわけではない。公的な派遣制度の方が、時間的な意味での緊急性に対しては強いのではないかと思う。
さて、上記のやり方で、派遣制度に乗らない要約筆記の依頼をサークルで引き受けてきたが、ある時、次の疑問が生まれた。それは、依頼者から見たとき、派遣制度に乗るか乗らないかは、欲しい情報保障の質には無関係ではないか、という疑問だ。要約筆記による情報保障を欲している、ということは、一定以上の質の要約筆記を求めているということであり、「サークル派遣だから情報保障の質については目をつぶる」というのは、本末転倒ではないか。もちろんサークル派遣だから質が低いとは言い切れない。しかし、サークルには、要約筆記をきちんと学んでいない人もいる、講座の中途脱落者だっている、もう長いこと要約筆記の派遣に行っていない人もいる、登録要約筆記奉仕員研修会に出たことのない人もいる、それはサークルの性質上、当然にあり得ることだ。サークルは登録要約筆記者の会ではないのだし、その活動の目的ももっと広いのが普通だからだ。
他方、登録要約筆記者の会はどうか。そこにいるのは、少なくとも要約筆記奉仕員養成講座を受講した人だ。登録後の研修も、本来は受けているはずだ。もしここが、制度外の要約筆記の依頼を引き受けられるなら、それが一番良い。そういう考えを、2006年に結成された登録要約筆記者の会・なごやが、会として認識され、会員の賛同を得た。そして、登要会なごやの中に支援部を作り、公的な派遣制度に乗らないこうした要約筆記の依頼を、引き受けるようになった。要約筆記を依頼する側からみれば、公的な制度に乗った派遣にせよ、乗らない派遣にせよ、情報保障を受けたいという要求に変わりはない。緊急避難だから、情報保障の質がいつもと違ってかまわないという理屈はない。公的な派遣制度を担う要約筆記者(または要約筆記奉仕員)のメンバーが、制度外の派遣であっても情報保障を担うなら、こんなに望ましいことはない。また、登録要約筆記者の会が、そうした制度外の派遣の依頼の件数や内容を蓄積することにより、公的な派遣の範囲を広げる運動にも直接つなげていくことができる。サークルや個人的な対応によって制度外の派遣を処理していたのでは、行政からみれば、「それでまかなえるなら良いではないか」ということになりかねない。
要約筆記による情報保障の場を広げていく活動の初期において、要約筆記サークルが果たした役割は、おそらく日本中のどの地域でも巨大だった。要約筆記サークルができることで、その地域の中途失聴・難聴者の聞こえの保障を押し広げてきたことは間違いがない。しかし、いつまでもサークルの活動に頼ってはいけない、と私は思う。サークル活動の意義は、参加者の自己実現や社会にそれまでなかった支援の萌芽を育てる活動という点ではとても大きい。その活動の中で、障害者が必要とする支援の形が明確になれば、それを公的な領域に移していく、という視点を持たないとサークル活動は硬直化しやすい。サークル員の自己実現が、本来の目的ではないはずなのに、得てしてサークルの存続それ自体や、サークルがそれまでに担ってきた活動への固執、ということなりやすい。「緊急避難」などという言葉が、そうした固執を正当化するために用いられるとすれば、あまりに悲しい。サークルのリーダーは、サークルの役割をきちんと整理し、自分たちが切り開いてきた活動、支援というものが公的な制度に移し替えられていくように努力することが望まれる。自分たちが切り開いてきた活動が公的な枠組みに移されることは、当事者としては少し寂しいが、自分たちには新しい活動が待っている、と受け止めたい。
「聞こえの保障」という広い世界を見渡せば、聞こえが保障されていない場面はまだまだたくさんある。サークルが、取り組むべき先駆的な活動のフィールドはいくらもあるのだから。
2007年11月08日
ムンクの光
東京の国立西洋美術館でムンクの展覧会が開かれている(2008年1月6日まで)。しかもこの展覧会のテーマは「装飾画家としてのムンク」というきわめて珍しい切り口だという。ムンクは、二十代の前半の私には、ずいぶん気になる画家だった。手元にある何冊かの図録や画集を取り出して、作品のいくつかを瞥見する。若かった頃、この画家の何を自分は見てきたのだろうか。
ムンクの絵に人物が描かれないことは少ない。代表作で、一人の人物も描かれていない作品といえば、「星月夜」くらいではないか。ムンクの作品における人物は、どこか輪郭が不確かで、浜辺での踊りも少しも楽しいダンスには感じられず、人は頭蓋骨を歪め、眼を幾重にもグルグルして、オーロラ輝くフィヨルドを背景にした橋の上に佇んでいる。
印象派、例えばモネが、光がどのように私たちに感じられるかということを追求して、睡蓮の浮かぶ池の面や、カテドラルの輝きや、夕日の照り返しの中の麦わらを描いたのとは、もちろん全く異なる。モネにあっては、人物さえも、光を反射する風景の一部として扱われているという印象を受ける。同じ印象派でも、例えばセザンヌの水浴をする女性の姿は、確かに人物として描かれてはいるが、その皮膚に輝き、きらめく光がモチーフになっている。しかし、ムンクの裸婦は、まるで違う。光の輝きも照り返しも、そこにはない。
もちろんそれはムンクが北欧の画家だということと関係があるだろう。緯度の高い北欧の国々では、太陽や月が天高く輝くことはない。水面近くにとどまり、水面に光の柱として描かれた太陽や月の光は弱々しく、南仏のそれとはおそらく全く違う光を、ムンクのキャンパスに投げかけていたに違いない。それにしても、ムンクはなぜこんな人物を繰り返し描いたのだろうか。ムンクには、人物がそう見えたから、としか言いようがないだろうと私は思う。ムンクには、人間が病の苦しみや別離の悲哀、人を愛することの不条理や嫉妬の心、そういうものによって歪み、時にはバラバラにされた存在として見えたのだ。悲しみにくれる人物には、茶の隈取りが見え、生きる不条理にとらわれた人の頭蓋骨は本当に歪んで見えたのだ。生命のダンスを踊る人々は、南国の情熱的なダンスを踊るのではない。白夜の光の中で、それでもなお灯し続ける危うい命を愛おしむように踊る。高緯度であるが故に水平線近くにとどまる弱々しい太陽や月の光の中で、命は爆発的な力によってではなく、互いの輪郭を失うことでつながる人と人の輪の中に保たれている。ムンクはそれを見て、それを描いた。
二十代の私は、十代の自分が味わった人間関係の歪みやもつれから少し自由になっていたが、その歪みやもつれを、ムンクの人物の上に感じていたような気がする。生きることは必ずしも歓びではない、としても、私たちは生き続ける。そのとき、世界はどう見えるのか。あれから更に二十年以上の年月が過ぎた。生きることそれ自体が、歓びであることを、今の私は感じるが、それでもムンクはまだ親しい画家として、私には感じられる。
ムンクの絵に人物が描かれないことは少ない。代表作で、一人の人物も描かれていない作品といえば、「星月夜」くらいではないか。ムンクの作品における人物は、どこか輪郭が不確かで、浜辺での踊りも少しも楽しいダンスには感じられず、人は頭蓋骨を歪め、眼を幾重にもグルグルして、オーロラ輝くフィヨルドを背景にした橋の上に佇んでいる。
印象派、例えばモネが、光がどのように私たちに感じられるかということを追求して、睡蓮の浮かぶ池の面や、カテドラルの輝きや、夕日の照り返しの中の麦わらを描いたのとは、もちろん全く異なる。モネにあっては、人物さえも、光を反射する風景の一部として扱われているという印象を受ける。同じ印象派でも、例えばセザンヌの水浴をする女性の姿は、確かに人物として描かれてはいるが、その皮膚に輝き、きらめく光がモチーフになっている。しかし、ムンクの裸婦は、まるで違う。光の輝きも照り返しも、そこにはない。
もちろんそれはムンクが北欧の画家だということと関係があるだろう。緯度の高い北欧の国々では、太陽や月が天高く輝くことはない。水面近くにとどまり、水面に光の柱として描かれた太陽や月の光は弱々しく、南仏のそれとはおそらく全く違う光を、ムンクのキャンパスに投げかけていたに違いない。それにしても、ムンクはなぜこんな人物を繰り返し描いたのだろうか。ムンクには、人物がそう見えたから、としか言いようがないだろうと私は思う。ムンクには、人間が病の苦しみや別離の悲哀、人を愛することの不条理や嫉妬の心、そういうものによって歪み、時にはバラバラにされた存在として見えたのだ。悲しみにくれる人物には、茶の隈取りが見え、生きる不条理にとらわれた人の頭蓋骨は本当に歪んで見えたのだ。生命のダンスを踊る人々は、南国の情熱的なダンスを踊るのではない。白夜の光の中で、それでもなお灯し続ける危うい命を愛おしむように踊る。高緯度であるが故に水平線近くにとどまる弱々しい太陽や月の光の中で、命は爆発的な力によってではなく、互いの輪郭を失うことでつながる人と人の輪の中に保たれている。ムンクはそれを見て、それを描いた。
二十代の私は、十代の自分が味わった人間関係の歪みやもつれから少し自由になっていたが、その歪みやもつれを、ムンクの人物の上に感じていたような気がする。生きることは必ずしも歓びではない、としても、私たちは生き続ける。そのとき、世界はどう見えるのか。あれから更に二十年以上の年月が過ぎた。生きることそれ自体が、歓びであることを、今の私は感じるが、それでもムンクはまだ親しい画家として、私には感じられる。