2009年07月27日

全要研集会第1分科会−14

 ここまで見てきたように、障害者自立支援法には、要約筆記について、派遣と養成の規定があるということです。では、これらの規定についてもう少し詳しく見てみましょう。
 まず要約筆記者の派遣ですが、これは、自立支援法第77条第2項の規定からきていて、要約筆記者の派遣はコミュニケーションを支援、つまり意思疎通の円滑化を目的とする、とされています。

 では、養成ですが、こちらは、要綱の別記6、10を見ると、要約筆記奉仕員の養成は、スポーツや芸術を通した障害者の社会参加の促進を目的とすると書いてあります。注意していただきたいのは、要約筆記者の養成については、現状ではどこにも規定されていない、ということです。別記2には、要約筆記者の派遣という規定があり、これは市町村の必須事業とされていますが、この事業については、派遣される要約筆記者として、「要約筆記奉仕員」が掲載されています。そして要約筆記奉仕員の養成については、別記6、10に規定がある、しかし要約筆記者の養成については規定がありません。


  

Posted by TAKA at 01:23Comments(1189)TrackBack(0)要約筆記

2009年07月16日

全要研集会第1分科会から−13

 では、こうした社会啓発の活動は、どのようにして進めたら良いのでしょうか。もちろん社会啓発はボランティア活動によっても進めることができます。しかし、やはり何らかの制度がないと広く普及することは難しいでしょう。社会啓発の活動をしようとすればそれなりに費用が掛かります。継続的に実施することも大切でしょう。そうすると、何か社会啓発の活動を支える制度が必要になります。聞こえない人、聞こえにくい人への理解を広げていくような啓発活動を継続的に実施していくためには、その根拠というか、よりどころを、どの制度に求めたら良いのでしょうか。



 現在、障害者施策は「障害者自立支援法」に集約されています。身体障害者基本法とか、要約筆記を含む手話通訳事業を第二種社会福祉事業に位置づけた社会福祉法など、様々な法律がありますが、それらを集約した形で、自立支援法があります。そこで、この障害者自立支援法の仕組みを検討してみましょう。
 そうすると、この自立支援法の中には、要約筆記関連して、「要約筆記者の派遣」と「要約筆記奉仕員の養成」という二つの仕組みがあることが分かります。これらは法律の中に直接書いてある訳ではありませんが、障害者自立支援法の中で、これらの仕組みが用意されています。
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 まず大きな枠組みから説明すると、障害者自立支援法の第77条には、コミュニケーション支援を目的として手話通訳(要約筆記を含む)者等を派遣すると書いてあります。第77条の第2項になりますが、もう少し詳しく言うと、「意思疎通を図ることに支障がある障害者等その他の日常生活を営むのに支障がある障害者等につき、手話通訳等(手話その他厚生労働省令で定める方法により当該障害者等とその他の者の意思疎通を仲介することをいう。)を行う者の派遣」を行なうと書いてあります。なぜこうした意思疎通の中間、つまりコミュニケーション支援が自立支援法の中に規定されているかというと、コミュニケーション支援がきちんと果たされれば、聴覚障害者の自立が可能となる条件の一つが整うと考えられているからです。いろいろな支援があるでしょうけれど、その中で、コミュニケーションを支援すれば、要するに通訳をきちんと派遣できれば、通訳を利用して聴覚障害者は、人と交渉し、話を聞き、学習し、働いていける、そういう考え方があるわけですね。
 そしてこれを受けて、地域生活支援事業の実施要綱というのがあるのですが、このなかの市町村の必須事業について記載した別記2に、「コミュニケーション支援事業」という項目があります。この事業は、「障害者等とその他の者の意思疎通を仲介する手話通訳者等の派遣等を行い、意思疎通の円滑化を図ることを目的とする」とされています。そして、「手話通訳者等」ですから、ここに要約筆記者も含まれ、実際、その派遣される要約筆記者の例として「要約筆記奉仕員」が掲載されています。

 要約筆記に関するもう一つの制度は、別記6や別記10に書かれています。別記6、10の規定は同じ内容ですが、別記6は市町村事業、別記10は都道府県の事業です。で、そこに何が書かれているかというと、「要約筆記奉仕員の養成事業」が、それぞれ、市町村と都道府県の任意事業として掲げられています。
  

Posted by TAKA at 06:04Comments(1471)TrackBack(0)字幕制作

2009年07月13日

全要研集会第1分科会から−12



 研究討論集会のための提言論文が分析した社会啓発の内容は、次のようなものでした。聴覚障害者にとって暮らしやすい社会を実現するための啓発活動の目的は、
〈A〉聞こえない、聞こえにくいことに対する理解がある社会にする
〈B〉聞こえが保障された社会にする
〈C〉社会的援助が存在するだけでなく、容易に援助が得られる社会にする
 というところにあります。要約筆記する人の養成だけでは、これらの領域をカバーできないことは明らかでしょう。
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 提言論文では、この〈B〉については更に次の4つの観点が指摘されています。つまり、
〈B1〉誰もが気軽に筆談する社会
〈B2〉音声情報に字幕が付いている社会
〈B3〉補聴しやすい社会
〈B4〉的確に話を伝えてくれる通訳をいつでも依頼できる社会
 です。要約筆記する人の養成は、このうちの〈B4〉にのみ拘わっており、これ以外にもたくさんのことをしなければ、聞こえが保障された社会を作り出すことはできません。要約筆記をする人、他人の話を聞いてこれを的確に通訳できる人の養成については、ますます専門性を問われており、もっときちんと伝えて欲しいという要望が強い訳ですから、そういう専門性を持った人の養成ばかりしている訳にはいかないのです。通訳としての要約筆記がきちんとできる人の養成に加えて、これとは別に、社会に対して、広く働きかけ、聞こえが保障された社会を作り出していく、という活動が求められているのではないでしょうか。



  

Posted by TAKA at 08:19Comments(1846)TrackBack(0)要約筆記

2009年07月11日

全要研集会第1分科会から−11

 本来、社会啓発の取り組みは、社会に対して、もっと広く行なっていくべきものです。社会啓発が進めば、聞こえない人、聞こえにくい人のことを理解している人が周囲に増え、筆談に応じてくれる人も増える、という意味で、中途失聴・難聴者の暮らしやすい社会に近づくはずです。社会啓発の取り組みを今までより更に広げる必要がある、ということです。そのためには、要約筆記をする人の養成と、社会啓発の取り組みとを、切り離した方が良いのではないでしょうか。
 これまで、要約筆記奉仕員の養成だけがもっぱら行なわれており、しかも要約筆記奉仕員には、常にもっと分かる要約筆記、要するに通訳としての要約筆記の高い技術が求められてきました。この結果、要約筆記奉仕員の養成が、社会啓発にとってはむしろ制約条件となっていたのではないでしょか。そう見るならば、この図表のように、両者を切り離すことで、つまり要約筆記する人の養成社会啓発の活動とを、一旦切り離すことで、社会啓発をもっと広い取り組みにできるのではないか、ということです。
 要約筆記奉仕員に関する検討作業部会では、この点についてまとめ、第11回全国要約筆記研究討論集会の提言論文として公表しました。理事会が発表した報告書の末尾には、このときの提言論文も掲載されていますが、提言論文の主張の一つの柱は、この要約筆記する人の養成と社会啓発の取り組みとを、切り離す方が、社会啓発を進める上でメリットが大きいのではないか、というものだと思います。そして、その考えは、研究討論集会に寄せられた論文を見る限り、多くの人々に支持されました。
 更に、提言論文には、もう一つの柱があったと私は思います。それは、社会啓発の内容を分析し、聴覚障害者にとって、どのような社会が望ましいと考えるか、という提言です。提言論文はこの点を分析し、次のように「望ましい社会のあり方」をまとめました。そして、その提言を先取りするような取り組みが、研究討論集会の論文で発表されていました。そのうちにいくつかの論文は、全要研理事会が公表した「報告書」の巻末に、資料として掲載されています。
  

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2009年07月10日

全要研集会第1分科会から−10

 このことを考えるために、要約筆記奉仕員がこれまでしてきたことをざーと見てみましょう。歴史的に、つまり1981年の要約筆記奉仕員の養成が始まってから、歴史的に要約筆記奉仕員がしてきたことを考えると、それはとても多様で、本当に様々な活動をしてきたことが分かります。もちろん、その場の話を書いて、聞こえにくい人、聞こえない人に伝えるということは、活動の最初からしてきました。難聴者協会の例会で書いて伝える、話し合いができるようになる、という点で、最初から、この、その場の話を書いて伝えるということは、要約筆記奉仕員の大きな仕事でした。
 それから聞こえの保障を求める運動に参加するということがありました。難聴者運動の始まりの時点では、「聞こえの保障」といって、今のように「情報保障」という言い方はしていませんでしたが、要するに聞こえの全世界を回復したい、保障して欲しいという要求があり、その聞こえの保障を求める運動に、要約筆記奉仕員も一緒になって参加してきました。
 それから、共に歩むというか、理解者としてそこにいる、という活動もあったと思います。社会にあってなかなか正しく理解されない難聴、中途失聴という障害を理解し、難聴者・中途失聴者の一番の理解者として、近くにいるといったことも、大切な役割だったと思います。また、映画の字幕を作って映画に付けて上映したり、テープ起こしをして情報を伝えたり、あるいはテレビの音声を筆録という形で提供したり、そうした活動もしてきました。


 こうしたたくさんの活動を、要約筆記奉仕員はしてきたと思いますが、その要約筆記奉仕員の活動に対して、常に圧力して掛かっていたのが、私は「通訳を求める」という要望だったと思っています。要約筆記奉仕員に対しては、根本のところで、「きちんと伝えて欲しい」という要望が常に寄せられていました。皆さんもよく「もっとレベルアップをして欲しい」と言ったり、言われたりしていると思いますか、その「レベルアップ」というとき、前提にされているのは、 「通訳技術」です。レベルアップして欲しいというとき、対人援助技術をもっと磨いて欲しいとか、もっと身近にいるあり方を考えて欲しいという人はほとんどおられません。みんなに通訳技術のことを考えているのです。
 そういう圧力がいつも要約筆記奉仕員には掛かっていた、と私は思います。でも、要約筆記奉仕員にとってどのような活動が本質的なものであるべきなのでしょうか。一人の要約筆記奉仕員にとって、ということではなく、社会の中で、「要約筆記奉仕員」というあり方が、果たすべき役割は何なのか、という問いです。
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 このことを、要約筆記奉仕員の養成と社会啓発という立場から見てみましょう。社会がある、その中でこれまで要約筆記奉仕員の養成が行なわれてきました。最初、まだ中途失聴・難聴という障害が社会に知られておらず、文字を使ったコミュニケーション支援を必要とする人がいると言うことが社会に知られていない状況では、要約筆記奉仕員の養成は、社会に対する啓発活動そのものだったわけです。要約筆記者を養成し、地域の福祉大会などに、手話と並んで要約筆記を付けることが、まず社会啓発の取り組みの第一歩でした。そういう時期は確かにありました。この時期、要約筆記奉仕員の養成と社会啓発はまさに一体のものだったのです。
 しかし、逆に言えば、要約筆記奉仕員の養成以外に、社会啓発の手段がなかった訳です。その間、要約筆記奉仕員は、常に、先ほど説明したように、通訳技術のレベルアップという圧力を受け続けてきました。当初、各地で20時間程度で行なわれていた要約筆記奉仕員の養成は、1999年の新カリキュラムが出されたことで、養成に52時間程度の学習が必要とされました。この新カリキュラムを策定する時に、難聴者側から出された要求は、基本的に、内容が伝えられる要約筆記奉仕員の養成でした。この結果、要約筆記奉仕員の養成は、以前より更に時間が掛かるようになりました。そうすると、要約筆記奉仕員の養成と社会に対する啓発とが一体化しているという状況は、社会啓発という面から見れば、明らかに制約条件に、社会啓発を広げることを難しくする条件となってしまったのではないでしょうか。
  

Posted by TAKA at 23:43Comments(1541)TrackBack(0)要約筆記

2009年07月10日

全要研集会第1分科会から−9

 この点を整理してみると、直接、難聴者や中途失聴者とコミュニケーションする、話をする、というのは、要するに、筆談する本人ですよね。これに対して、他人の話を伝える、聞こえない人のコミュニケーションを支援する人というのが、要約筆記をする人、ということになります。

 そう考えると、これまで、要約筆記をする人、つまり他人のコミュニケーションを支援する人の養成は、「要約筆記奉仕員」の養成として行なわれてきた訳です。これは、1981年(昭和56年)に要約筆記奉仕員の養成が、国の障害者社会促進事業として、いわゆるメニュー事業に入った時にから、一貫してそうでした。

 これに対して、では、筆談する人の養成というのは、どこかで行なわれてきた、というと、組織的な行なわれてきたということはありませんでした。筆談でもって、聞こえない人、聞こえにくい人に直接コミュニケーションすることをいとわない人の養成というのは、メニュー事業にも入っていませんし、どこかで毎年行なわれてきたということも、少なくとも私は聞いたことがありませんでした。
 社会に、聞こえない人に対する理解を広げていく、という観点からは、本来もっと筆談する人の養成というか、気軽に筆談する人を増やしていく、という取り組みがなされても良かったはずです。しかし、残念ながら、こうした取り組みはほとんど行なわれてきませんでした。これはどうしてでしょうか。
  

Posted by TAKA at 01:03Comments(1588)TrackBack(0)要約筆記

2009年07月04日

全要研集会第1分科会から−8

 筆談について、それが重要だということを話してきましたが、筆談はそんなに簡単なことではないと思っています。要するに、単に書けばそれでオッケーということではありません。やってみると分かるのですが、自分に言いたいことを書いて伝えるというのは、そんなに簡単なことではありません。やってみるとこれが意外に難しいのです。
 なぜ筆談が意外に難しいか、というと、通常私達が直接話しているときというのは、言語的なコミュニケーションをしている訳ですが、実際には、非言語的なコミュニケーションというものを伴っています。要するに、表情とか、態度とか、声のトーンとか、直接言葉として表われていないものを使いながら、会話している訳ですね。だから、「めし」「フロ」「寝る」だけでもコミュニケーションとして機能しているということもあり得る訳です。そこには、言葉以外の要素が、笑顔だったり、疲れた態度だったり、眠そうな仕草だったり、声のトーンというか調子だったり、そういうものが、動員されています。ところが、筆談の場合は、こうした非言語コミュニケーションが生かせない、というか、生かしにくいんです。書きながら、どういうふうに非言語コミュニケーションを使うかということについて、私達も訓練を受けていないし、筆談を受ける側も慣れていません。書かれたものだけで、通常の会話でやりとりしているものを全部、そこに乗せようとしても、通じるはずだと思って書いても、なかなかそうはいかないのです。



 そうなると、筆談する私達が、自らの筆談コミュニケーション能力をちゃんとしなくっちゃいけない、ということなんです。コミュニケーション能力を確立することが必要です。筆談は単に「書こう」と思うだけでできる訳ではない。ちゃんと一定の訓練をしないと、筆談でちゃんと伝えられるようにはならないと思います。
 実はここまで検討して、作業部会で気づいたのですが、私達、これまで要約筆記にかかわってきたものは、自分のコミュニケーション能力についてきちんと捉えるというか、自らのコミュニケーション能力について検討したり、考えたりすることがなかったんじゃないか、ということに気づきました。これまでの要約筆記奉仕員の養成について言えば、現在のカリキュラムやテキストは、要約筆記奉仕員に「通訳」としての側面を強く求めています。現在の要約筆記奉仕員の養成テキストにも、「要約筆記は通訳作業です」と書いてあります。ですから、要約筆記を学ぶ人は、他人の話を伝達する、その伝達を媒介するということについては、教えられてきたし、他人のコミュニケーションを支援するという力を求められてきました。でも、自分のコミュニケーション能力についてはどうだったのか、と考えると、少なくとも現在の要約筆記奉仕員のカリキュラムやテキストでは、そのことは触れられていません。
 考えてみると、自分のコミュニケーションがきちんとできなければ、まして他人のコミュニケーションを支援すると言うことができるでしょうか、できないんじゃないでしょうか。作業部会では、この点に気づき、そうすると、自分のコミュニケーションをきちんとできる、ということと、他人のコミュニケーションを支援するということを、分けて考えるべきじゃないだろうか、と考えました。筆談の重要性を取り上げたもう一つの理由は、この自分のコミュニケーション能力というものを考えるというところにありました。
  

Posted by TAKA at 08:53Comments(1505)TrackBack(0)要約筆記

2009年07月03日

全要研集会第1分科会から−7

 筆談の重要性について考えると、その一番のポイントは、筆談で何か用事が済むといったことよりも先に、実はコミュニケーションできる、ということ、それ自体があります。要するに、きちんとしたコミュニケーション、他人と話が通じ合う、人とつながっている、という実感というか、安心感というか、そういうものが、筆談では得られやすいということです。これは思った以上に大きいと思っています。コミュニケーションは、何か内容を伝達して、用事を済ませるという側面もありますが、人とコミュニケーションすること、わかり合えるという状態になることも、コミュニケーションの本質としてあると思います。聞こえない、聞こえにくいという状態の中で、ただ大声で話されて、きちんと分からないまま、曖昧なコミュニケーションというか、コミュニケーションが成り立たない状況に置かれ続けることは非常に、いらだたしいというか、不安な状態ではないでしょうか。相手が筆談して、書かれたものが示されることにより、相手の伝えたいことが、聞こえの不安なく分かるという状態になること自体がまず重要なのだと思うのです。
 なので、それが特別のことではない、気軽にみんなが筆談するというような状況を作り出していくことは非常に重要です。気軽に筆談する人を増やしたいということですね。
 こういう場面で必要とされているのは、ですからいわゆる通訳としての要約筆記ではなく、筆談です。通訳としての要約筆記が必要とされることは勿論あります。ですが、聞こえない、聞こえにくい人の周りの人が直接的なコミュニケーションを図ろうとするならば、まず筆談する、筆談が有効なんだと分かっている人が周りにたくさんいるという状況を作っていくことが必要でしょう。
  

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2009年07月03日

全要研集会第1分科会から−6

 さて、こうした専門家につないでいく、ということの必要性について話してきましたが、聞こえないという障害に対する理解がある、ということも非常に大切です。社会が、ということは身の回りの人々が、聞こえないという障害に対して理解しているとはどういうことでしょうか。まず一つは、難聴者なら大きな声で話せば通じるとか、聞こえない人は手話を使うといった誤解を解消したいということがあります。以前と比べれば、こうした誤解は減ってきましたが、それでもまだまだ理解されていないということはあります。

 実際、特別養護老人ホームなど見ていると、ヘルパーの人が大声で話していたり、紙筒で耳元に怒鳴っていたりというのを見かけるといった話もあり、高齢難聴者に接することの多い人でも、なかなか理解されていないということがあります。こうしたヘルパーの方や、ケアマネの方々がもっと聞こえないことについて理解して欲しい、と思いました。もちろん、介護の対象者だけではなく、家族にも高齢難聴者がおられ、家族に説明するといった場合にも、同じように聞こえないことに対する理解がないと困るということもあります、
 こうした光景をみると、ちょっと筆談すれば通じるのに、と思うことがあります。実際、気軽に筆談する人が増えれば、難聴者の不便の多くは解消すると思います。もちろん筆談は万能ではないし、筆談についてまとまった研究もない、という状況ですが、聞こえない人、聞こえにくい人に対して、筆談することはとても大事です。現状では、相手が聞こえにくい、聞こえないと分かったら、気軽に筆談するということはまだまだ少ないですね。
  

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2009年07月03日

全要研集会第1分科会から−5



 つなぐ役割は重要だと考えました。つなぐためには、支援の制度について知っている人が身近にいることが大事です。どこかに行かないと教えてもらえない、というのでは役に立ちません。もちろん行政も様々なチャンネルで情報を流しているということは言えます。各市町村の広報誌などには、制度の存在が掲載されることは確かにあります。しかし、皆さんの中で、そういう広報を見たという方はどのくらいおられるでしょうか。私達のように、聴覚障害者の問題にある程度関心を持っている者でも、補装具の給付についての案内など、広報誌で見たという方は少ないのではないかと思います。
 こうした支援の制度があることを身の回りに知っている人がいて、気軽に「こういう制度があるよ。○○に行ってみたら」と教えられ人がいる、というのは、とても意味があることだと思います。
 そういう場合に、制度の何もかも知っているということは難しいですね。なので、少なくとも障害者自立支援法の中にある地域生活支援事業の「生活相談員」の制度を知っていて、そこまでつないで行く、それができれば、そこから、いろんな制度に気づいて、利用していけるのではないかと思います。制度だけでなく、社会の中の専門家につないでいく、ということもあります。言語聴覚士であるか、ソーシャルワーカーであるとか、そういう専門家につないでいくということですね。

 こうした専門家については実は私達作業部会のメンバーも最後まで、「言語療法士」とか「補聴器店」とか資料に書いていて、正しい名前を理解していませんでした。この点は、今回の集会で、正誤表が資料として配付されています。ちょっと見ておいていただきたいのですが、報告書第13ページのところ、「言語療法士」と「補聴器店」と書いてあります。これは、現在は法律や民間資格ができて、それぞれ「言語聴覚士」「認定補聴器技能者」となっています。正誤表の後ろには解説が書かれています。参考になると思います。以下に、更にまとめたものを掲載しておきます。
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 (1)言語聴覚士(Speech-Language-Hearing Therapist)について
 「言語聴覚士(ST)」とは、リハビリテーションの専門職の一つであり、1998年に施行された言語聴覚士法に基づく国家資格です。
 言葉や聞こえなど、コミュニケーションに障害のある方や周囲の方々に対して、医師や看護師、理学療法士(PT)や作業療法士(OT)、教育関係者や療育関係者などと連携を取り、訓練、相談、評価、指導などの専門的な援助を行ないます。
 正確な国家資格の名称は「言語聴覚士」ですが、国家資格が制定される以前は、言語療法士や言語治療士といった名称が使われていたため、今でも言語療法士といった古い表記で説明されることがあります。
(2)認定補聴器技能者(Hearing Aid Technician)について
 「認定補聴器技能者」は、補聴器の販売や調整などに携わる者に対し、基準以上の知識や技能を持つことを認定して付与される資格です。
 認定補聴器技能者の資格を取得するには、「認定補聴器技能者試験」(財団法人テクノエイド協会)に合格することが必要です。この試験の受験資格を得るには、「補聴器技能者基礎講習会」および「補聴器技能者講習会」の受講、所定年数以上の販売実務経験、指定講習会による規定ポイントの獲得、耳鼻咽喉科専門医(補聴器相談医)の指導を受け連携をもっていること、などの条件を満たすことが必要です。認定補聴器技能者試験は、筆記試験と実技試験です。
 認定補聴器技能者は、5年間の実務経験に従事しながら指定講習会を受講し、認定補聴器技能者更新講習会を受けていかなければならない、とされています。
  

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TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
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