2009年07月03日
全要研集会第1分科会から−7
筆談の重要性について考えると、その一番のポイントは、筆談で何か用事が済むといったことよりも先に、実はコミュニケーションできる、ということ、それ自体があります。要するに、きちんとしたコミュニケーション、他人と話が通じ合う、人とつながっている、という実感というか、安心感というか、そういうものが、筆談では得られやすいということです。これは思った以上に大きいと思っています。コミュニケーションは、何か内容を伝達して、用事を済ませるという側面もありますが、人とコミュニケーションすること、わかり合えるという状態になることも、コミュニケーションの本質としてあると思います。聞こえない、聞こえにくいという状態の中で、ただ大声で話されて、きちんと分からないまま、曖昧なコミュニケーションというか、コミュニケーションが成り立たない状況に置かれ続けることは非常に、いらだたしいというか、不安な状態ではないでしょうか。相手が筆談して、書かれたものが示されることにより、相手の伝えたいことが、聞こえの不安なく分かるという状態になること自体がまず重要なのだと思うのです。
なので、それが特別のことではない、気軽にみんなが筆談するというような状況を作り出していくことは非常に重要です。気軽に筆談する人を増やしたいということですね。
こういう場面で必要とされているのは、ですからいわゆる通訳としての要約筆記ではなく、筆談です。通訳としての要約筆記が必要とされることは勿論あります。ですが、聞こえない、聞こえにくい人の周りの人が直接的なコミュニケーションを図ろうとするならば、まず筆談する、筆談が有効なんだと分かっている人が周りにたくさんいるという状況を作っていくことが必要でしょう。
なので、それが特別のことではない、気軽にみんなが筆談するというような状況を作り出していくことは非常に重要です。気軽に筆談する人を増やしたいということですね。
こういう場面で必要とされているのは、ですからいわゆる通訳としての要約筆記ではなく、筆談です。通訳としての要約筆記が必要とされることは勿論あります。ですが、聞こえない、聞こえにくい人の周りの人が直接的なコミュニケーションを図ろうとするならば、まず筆談する、筆談が有効なんだと分かっている人が周りにたくさんいるという状況を作っていくことが必要でしょう。