2007年11月11日

加藤徹「漢文の素養」(光文社新書)

 文字を持たなかった古代の日本人が、中国の漢字文化に触れてそれをどう消化してきたのか、消化の過程で日本文化が創られていく、その様を、漢文から読み解こうとした意欲的な本だ。要約筆記者養成講座の中で「日本語の特徴」を教えるために、読みあさった何冊かのうちの一冊だが、出色の一冊だった。
 昔から、日本語の中で、そのまま形容詞になる色表現は「赤い」「青い」「白い」「黒い」しかないことを不思議に思っていた。「色」を付けて形容詞化するのが、二つ「黄色い」と「茶色い」。日本人にとって、「みどり」は国土の木々の色として、親しみ深かったはずなのに、「緑い」という形容詞はない、「緑色い」ともいうことができない。それはなぜか、とても不思議だった。ちなみに「赤青白黒」は、そのまま方角にもなっており、日本人にとって、最も基本的な色だということは明らかだ。
 この「漢文の素養」を読んで、初めてこの4つの色が「明るい」「淡い」「著い」「暗い」という明度を表す言葉から生まれたことを知った。そして古代の日本人はおそらく「色彩」というものを意識しておらず、中国の文化に触れて初めて豊かな色彩感覚を身に付けたのだろうと言うことも。まことに、言葉を世界を切り取る方法そのものであり、世界観そのものなのだと分かる。分かることがぞくぞくするほど楽しい、そういう感覚を、何度か味わせてくれる本だ。
 もう一つ、この本を読んで知ったのは、漢文を、弥生時代まではおそらく漢字を単に呪術的なシンボルとして受け入れ、いわば装飾材として用い、やがて仏教を中心とした文化を輸入するために用いられ社会の制度を作り出す生産財として漢文を使いこなし、最後には、漢詩や漢文学といった消費財としたという視点だ。これはきわめてユニークな視点だ。他の言語を一つの社会が受け入れていく場合の受け入れの程度を、この捉え方で計ることができる。
 このほか、日本が漢字文化圏では、唯一、本家中国に新漢字を輸出して恩返しをした国だとか、とにかく日頃親しんでいる漢字仮名交じり文としての日本語の背後にあるものをいくつもいくつも気づかせてくれる。要約筆記に引きつけて読めば、おもしろさ倍増であることは保証するが、たとえ要約筆記とは無関係であっても、こんな面白い本はない。


この記事へのトラックバックURL

 

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 12人
プロフィール
TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
オーナーへメッセージ