2007年11月12日

青木幸子「Zoo Keeper」(講談社)

「ZOO KEEPER」の新刊を読み終わる。地方の中規模の動物園に採用された女性(楠野さん)は、赤外線領域まで見えるというちょっと変わった視力を持っている。熱源を見続けると疲れてしまうので、通常は赤外線カットの眼鏡をかけている。この眼鏡は、楠野さんのこの変わった能力を見抜いた熊田園長が誂えてくれたものだ。この園長が持ち出す難題につきあいながら、飼育員の楠野さんは、動物園の存在意義とか、動物と人間の関係などについて考える。その捉え方のユニークなところがこの漫画のおもしろさになっている。
 例えば3巻では、チーターの全力疾走を展示する、という話が出てくる。チーターの時速は平均で100キロ。それはチーターが、狩りをするために発達させた運動能力だ。しかし動物園にいるチーターは、全力で走る必要がない。餌は与えられるのだから。では、動物園のチーターは、全力で走るべきなのかどうか。楠野さんが考えるのに付き合っているうちに、人と動物の違いと共通点が、見えてくる。
 (写真下は、我が家の愛(駄)犬・ジャミー)


 動物と人間との関わりを描いたコミックは多い。「いぬばか」(桜木雪弥)のように、ペットショップを舞台にしたもの、「ワイルドライフ」(藤崎聖人)のように獣医の活動を描いたもの、など切り口も視点も様々だ。「ワイルドライフ」は、獣医(鉄生)が主人公だけに、扱う動物のレパートリーは広い。まして主人公・鉄生は、どんな患畜でも救いたいと願っているので、ほ乳類はもちろん、鳥類、は虫類も、患畜として登場する。今まで知らなかった様々な動物の生態を知るのは楽しいものだ。
 ところで、この鉄生君については、獣医大に在籍してるとき、教科書を逆さまに読んでいた、というエピソードが語られる。最初そのことに気づいた同級生は「こいつは馬鹿か」と思うのだが、その直後、鉄生が、深い意図を持って教科書を逆さまにして読んでいたことに気づく。彼は、教科書に掲載された顕微鏡視野の写真を様々な方向から見るために教科書を逆さまにしたり横にしたりしていたのだ。鉄生は、言う。「本当の試料は、いつも同じ方向から見るとは限らないだろう? そのことで、患畜の病気の原因を見落としたり間違えたりしたくないからな」と。
 この話は、「ワイルドライフ」のだいぶ後の方(10巻過ぎ・・たぶん)になって出てくるのだが、この台詞にはシビレた。そのせいで既に二十数巻になったこの「ワイルドライフ」という本を読み続けているような気がする。およそ、専門家と呼ばれる者はこうでなくてはいけない。一つの専門を学ぶとき、そこには教科書やお手本があるだろう。しかしそれは用意された教科書でありお手本なのだ。どんな事象であっても、現実はもっと豊かで複雑なものだ。教科書やお手本は、その豊かで複雑な現実を、ある類型に従って整理したものに過ぎない。本当にその専門性をきわめようとするなら、教科書やお手本の向こうに、豊かで複雑な現実があることを理解していなければならない。
 話しことばによって語られた内容を理解し、書きことばによってその内容を伝えるようとする要約筆記者は、豊かで複雑な言葉とその言葉で表わされる豊かで複雑な「話し手の意図」を相手にしているのだ。ならば要約筆記者は、日本語による伝達の専門家でなければならない。専門家を目指す者として、読むべき書籍はいくつもあるだろう。それらの本、例えば全難聴が発行している「要約筆記者養成テキスト」を、時には逆さまにして、あるいは横にして読むくらいの気概を持って学びたいと思う。
 「ワイルドライフ」の新刊を読むたびに、あの鉄生の教科書のエピソードをなつかしく思い出す。
  

Posted by TAKA at 02:01Comments(2)TrackBack(0)読書
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TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
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