2007年09月17日

聞こえの保障と要約筆記

 私が要約筆記に関わりを持ち始めた約30年前。中途失聴者・難聴者が求めていたものは、「聞こえの保障」だった。中途失聴、難聴であることによって、社会で、いや社会だけではなく、家庭で、教育の場で、職場で、つまりあらゆる場所で、中途失聴者、難聴者は、音声情報から隔てられていた。中途失聴者・難聴者に音声情報を保障しようとする動きはきわめて弱かった。手話は、少しずつ認知され始めていたが、聴覚障害者ならば手話が使えるはず、という誤解もまた拡がり始めていた。
 聞こえないが手話を使わない、あるいは使えない聴覚障害者の存在にいち早く気づき支援を始めたのは、手話通訳者の一部の方々だったが、手話に代えて、話しことばを文字にして伝えようとする活動は、やがて「要約筆記者」に引き継がれて行った。中途失聴者・難聴者が求めたのは「聞こえの保障」であって、単に会議の通訳ではなかった。要約筆記者もその要求の切実なことを知り、聞こえの保障を求める運動に積極的に関わってきた。聞こえないことで隔てられた音声情報を取り戻すために音声を文字化して伝える試みは、OHPの上に透明なシートをおいて油性ペンで書き、その場の情報を伝えることだけではなく、日本映画に字幕を付けること、講演などの録音をテープ起こしして提供するなど、様々な取り組みとして行なわれた。そして現在も続いている。
 様々な分類が可能だが、音声情報をたとえば次の二つの軸を使って整理してみることができる。
 横軸:前もって準備できるものか、その場で対応するしかないものか
 縦軸:話の内容が重要か、どんな風には話されたかといった表現が重要か
        内容が重要
  ☆       ↑    ★ 会議
事         |    講演
前 ◆映画  プラネタリウム
に←————————┼——————→その場で発言
準     芝居  |
備         | 
       落語 ↓
        表現が重要
   (等幅フォントで表示してください)

 例えば映画の音声は、事前に字幕として準備しておき、映画の上映に合わせて、映画スクリーンの横に投影する事ができる。したがって、こうした事前に準備できるものは横軸の一番左端に位置する。会議などで出席者が話すことはその場での発言だから、事前に準備することは難しい。これは横軸だと一番右側にくる。名古屋市科学館での上演は、学芸員の話す内容がある程度分かっているが、毎回同じではない、という意味では、横軸の真ん中くらいか。落語なども、話す内容はだいたい同じだが、事前に字幕をすべて用意できる訳ではないという点で似ている。
 他方、議論しているときの誰かの意見は、その内容が一番重要だ。提案に賛成なのか反対なのか、その理由は何か、ということが重要であって、名古屋弁で賛成したか関西弁で反対したかは問題には(普通は)ならない。これは縦軸の一番上に来る。他方、落語であれば、話す内容はほぼ決まっているが、どう話すかが重要になる。同じ話を二つ目が演るのと、名人が演ずるのではまるで違う。芸術は、つまるところ表現に宿るのだ。縦軸上では、一番下に位置づけられるだろう。
 こうやって様々な音声情報を、この二つの軸を使って分類してみる。そうすると、例えば駅など交通機関の案内放送でも、次の駅名の案内なら事前に準備しておけるし、内容(駅名)が重要だから、左の上(☆印のところ)。一方、事故などで止まったときは、事前に準備しておけず、内容重視だから、右上(★印のところ)、となる。
 この広い音声情報の世界のどこが現時点である程度保障され、どこが保障されていないだろうか。その検討をする前に、まず誰がこの音声情報の世界を聞こえない人に伝えたいと考えたかを思ってみてほしい。まず家族が何とかしようと考えたことは間違いない。それは、聴覚障害児の体験談を伺うとよく分かる。学校の授業を子どもにすべて録音させ、夜っぴて家族で(大部分は母親が)テープ起こししてきたという話を聞くことがある。しかしあらゆる場所に家族だけで対応できないことははっきりしている。次第に社会的な支援の必要性が理解され、ボランティアによる対応が始まる。とはいえ、初期の頃のボランティアには、「聞こえない家族がいて」とか「聞こえない友人に頼まれて」とか、何らかの係累を持っているケースが多かったように思う。それはある程度当然だと思う。なぜなら、中途失聴者・難聴者がどういう支援を必要としているか、という整理はされておらず、その要求がある程度分かっているのは関係者だけだったのだから。
 ボランティアによる対応が始まって、どのような支援が必要であり、可能なのかが分かってきて初めて行政による公的な支援が始まる。この関係は、後になるとなかなかわかりにくくなる。手話通訳が必要だとか、要約筆記が必要だ、公的な派遣は当然だ、と現時点では考えるけれど、支援の始まりにおいては、そのことは分かっていない。第一、手話通訳や要約筆記という方法で音声情報を伝えることが可能かどうか、誰も知らなかったのだから。
 名古屋の場合、要約筆記者の派遣は、厚生省(当時)のいわゆるメニュー事業に要約筆記者派遣事業が入る一年前(1984年)から始まっている(メニュー事業に入ったのは1985年)。それは、1978年に名古屋に生まれた「まごのて」というサークルが毎年多数の要約筆記派遣を引き受け、そのデータを年度ごとに名古屋市に提出してきたということ、そしてその派遣依頼の過半を占めていた名難聴(当時は名聴連のB部)が、苦しい財政をやりくりしながら、その派遣の謝礼を負担し、行政に対して、自分たちには要約筆記が必要だ、そしてそのためにはこれだけの費用がかかるのだ、と要求し続けてきた、ということ、この二つの事実が大きい。上述した情報保障の広い領域の中で、この部分(★印のあたり)、つまり難聴者の会議などの情報保障を、要約筆記という方法でカバーできることを実践的に示し、そのデータをもって行政に要望していくことで初めて公的な支援が実現した。それなしにはどのような支援も公的な支援として取り出されることはないのだ。
 名古屋市が要約筆記の派遣事業を始めると同時に「まごのて」は要約筆記の派遣から手を引き、公的な派遣に乗らない要約筆記の依頼には対応し続けたものの、要約筆記者の派遣から、映画の字幕作りへとサークル活動の方向を変えた。ちなみに、公的な派遣制度に乗らない派遣依頼については、すでに別に書いたように、名古屋市登録要約筆記者の会ができたことで、すべてを移管し、サークルでの派遣には終止符を打った。
 映画の字幕作りは、派遣制度の開始ときびすを返すようにして始まり、今日に及んでいる。一番活動が盛んだったときには年間6,7本の日本映画に字幕を付けていた。その活動で特筆すべきは、一般映画館で字幕を付けてきたということだ。確かに最初の頃は、字幕作りのノウハウを蓄積するために、自主映画祭などで字幕を付けたが、シネマスコーレという名古屋駅前の小さな映画館を振り出しに、松竹座、東映劇場、エルンゼル東宝、名宝スカラ座、国際劇場など、名古屋市内の多くの一般映画館で、字幕を付けてきた。要するに、普通の封切り映画館での通常の上映に字幕を持ち込んでいたのだ。「まごのて」では、こうした字幕付けの案内を名古屋市の民生局にいつも送っていたが、ある年、突然呼ばれ、今年から助成金を付ける、と言われた。したがって、その年から今日まで、「まごのて」の日本映画に字幕を付ける活動は、公的な助成の元で行なわれていることになる。また映画会社が、配給する映画に自ら字幕を付けることも増えた。上述したマップの左側の映画の領域(◆の領域)は、かなりの程度社会的にカバーされているといえるかも知れない。日本映画に字幕を付ける活動に公的な助成が付いている地域はたぶん他にはないと思うけれど、上記のマップで言えば、右上のその場の情報保障としての要約筆記者の派遣(★)と、左側の映画の字幕(◆)については、名古屋ではいずれも公的な支援の元で行なわれていることになる。
 現在、「まごのて」はプラネタリウムの字幕に取り組んでいるが、これはマップで言えば、だいたい真ん中あたりの活動。まだ公的な助成の対象にはなっていないが、この活動が継続されていけばいずれ何らかの形で公的な支援が得られるはずだ。あるいは公的な取り組みになっていくはずだ。
 上記の例は、要するに、そこにニーズがあるかどうか分からないとき、公的な支援は当然にない、そしてボランティアが先進的な取り組みを始め、そこにニーズがあることが明確になり、支援の形が整ってくると、それは社会的な支援の対象になる、ということだ。要求すれば叶うのではない。要求があるかどうかまだはっきりしない段階から、ほとんどの活動はスタートする。そのとき、社会福祉に関する活動としてのボランティア活動が果たす役割は大きい。そして、ボランティア活動を継続するとともに、その活動の専門性を明確にし、障害者団体とともに、その活動を定義し、社会的な要求として位置づけていく、そこまでできて、初めて公的な支援の対象となり、社会福祉事業として助成の対象となる、という関係だろう。
 要約筆記者が中途失聴者・難聴者の要望を受けて、その聞こえの保障の広い活動領域に足を踏み込んだとき、公的な支援は何もなかった。そこから、ボランティア活動を通して蓄積したてきものが、一つずつ取り出され、専門性を持った取り組みとして、公的な支援の対象になっていく。その場の情報保障としての要約筆記は、その一つの例証だ。公的な裏付けのなかったサークル派遣から、奉仕員派遣事業として公的な支援の対象となり、更に奉仕員事業から社会福祉事業へと進もうとしている。そのことも重要だが、それよりも強く指摘しなければならないことは、「聞こえの保障」を実現すべき領域はまだまだ広く、その過半は手つかずのままだと言うことだ。
 全難聴が提案した要約筆記者養成カリキュラムによる要約筆記者の養成と派遣とが速やか全国で始まって欲しい。要約筆記者の養成と派遣が、それが可能な地域で始まったとしても、それは単に★印の領域が、社会福祉事業として実施されるようになることに過ぎない。要約筆記に関わってきたボランティア(要約筆記奉仕員を含めて)が、取り組むべき聞こえの保障の領域はまだまだ広い。要約筆記者養成カリキュラムに関わる問題を早く整理して、次に進まなければならない。違うだろうか。  

Posted by TAKA at 22:45Comments(0)TrackBack(1)要約筆記
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TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
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