2007年10月30日

「聞こえの保障」と支援者

 全難聴が、2004年から、要約筆記に関する調査研究事業を開始して、さまざまな成果を上げていることはこのブログでも何度か触れた。その成果は、事業の報告書として発行され、全難聴から入手することができる。その中でも特筆すべきは、要約筆記者の到達目標と養成カリキュラムだが、この成果物は、なかなか公的な認知に至っていない。その最大の理由は、全難聴と全要研の意見の不一致にあると言っていい。これは厚生労働省の担当官が言明していたのだから間違いはない。
 いま、細かく、どこに両団体の意見の不一致、いわゆる齟齬があるのか、説明することはしないが、全国的に見て、なかなか理解されないのが、「聞こえの保障」の広さと、その一部を担う「情報保障」の関係だ。更に言えば、その場の情報を保障する「通訳としての要約筆記」の専門性だろう。前者、つまり「聞こえの保障」と「情報保障」との関係は、前々回詳しく書いた。この問題を巡ってもう一つ、うまく認知ができていないのが、要約筆記者と要約筆記奉仕員の関係だろう。この点については、このブログでも何度か書いている。要約筆記奉仕員の必要性は誰しも認めるところだと思うが、要約筆記奉仕員が大切だから、要約筆記者の養成や認定をいつまでも放置したままにしておくという対応については、私は「間違っている」と考える。なぜ奉仕員事業という制度的にも不安定な事業にいつまでも拠ろうとするのだろうか。
 制度の問題はさておき、一つ疑問に思うのは、要約筆記奉仕員にこだわる人は、通訳としての要約筆記以外の聞こえの保障の活動をどの程度した上で、奉仕員で良いといっているのだろうか、ということだ。中失難聴者に対する支援は、「通訳だけでない」とよく言われる。しかし、少なくとも必要とされている支援は、聴覚障害者に代わって電車の切符を買ったり、一緒に旅行に行ったり、飲んだりすることではないだろう。それは支援ではなく、付き合いであるとかお世話であるとか、名付けるとすれば友情であったり、親切であったりする、そういうものだろうと思う。もちろん聴覚障害者とつきあえば、聞こえない故の悩みを聞いたりするとはあるだろう。聴覚障害者の悩みを聞くといった支援も想定することはできる。しかしもしそうした支援をするのであれば、やはりカウンセリング技術の習得など、ある種の専門性が必要になる。単に気持ちがあれば支援できるというものではない。鬱病からの回復期にある患者に、励ますつもりで「もっとがんばって」と言い、病状を悪化させることだってある。「支援者である」というなら、それは「知らなかった」で許されることではないだろう。
 中途失聴・難聴者を支援するというのであれば、「聞こえの保障」の領域での支援の必要性が見えないはずないと思う。私が属している名古屋の要約筆記サークル「要約筆記等研究連絡会・まごのて」は、そうした支援の必要性が見えたから、さまざまな支援活動に取り組んできた(サークルに中途失聴・難聴者がたくさん加わって共に活動を担っていたということも大きい)。その場の通訳としての要約筆記も、勿論サークル活動の初期においては中心的な課題として取り組んできたが、要約筆記奉仕員の公的な養成に引き続いて派遣が公的に始まると、サークルとしての中心的な活動を、映画の字幕制作と上映、プラネタリウムの字幕付き上演などに移してきた。そんな活動領域の遷移を予め見越した訳ではないのだろうが、「まごのて」は、発足時に、わざわざ「要約筆記研究連絡会」として、「等」の文字をサークルの名称に含ませている。サークル活動の始まりの時点では、その場の情報保障だけが特別扱いではなかったことの証左と言えるかも知れない。
 1978年12月の設立から今日までの「まごのて」の活動の中で、「聞こえの保障」という広い活動領域があることを実感してきたし、それぞれの活動にそれぞれの専門性があることを実感してきた。「通訳としての要約筆記」だけが抜きんでた専門性を持っている訳ではなく、その活動が一番高度な活動だという訳でもない。「聞こえの保障」を求める領域の一部が、専門性を持った明確な活動領域として取り出された、というだけのこと、そう理解してきた。
 自慢する訳ではないが、「まごのて」は、おそらく全国の要約筆記サークルの中で、もっとも沢山の映画の字幕を制作してきたサークルだろう。手書きの字幕から数えれば、100本近い映画の字幕を作ってきている。また、「まごのて」は、もっとも沢山の種類の企画に字幕を付けてきたサークルだろうとも思っている。プラネタリウム(写真上)だけでなく、演劇や、電気文化科学館のシアターなど、さまざまな企画に字幕を付けてきた。ハーフミラーに映して投影される字幕、つまり鏡文字の字幕(写真下)さえ作った経験がある。遡れば、「聴覚障害者の文字放送-字幕放送シンポジウム」にリアルタイムで字幕を付けたのも、身体障害者スポーツ大会とその後夜祭にリアルタイム字幕を付けたのも、名古屋が最初だ。これらの企画は、「まごのて」が単独で実施した訳ではなく、全国の要約筆記者や高速日本語入力者との協働作業として実現したものだが、実現に向けて一定以上の役割を負っていたことも間違いがない。
 そうした活動の蓄積があったから、逆に、「通訳としての要約筆記」の専門性とその養成カリキュラムの重要性が分かるのかも知れない、と今は思う。「聞こえの保障」のこの広い領域の中で、「通訳としての要約筆記」について、ここまでしっかりした到達目標と養成カリキュラムを作ってこれたのだから、早くこの部分を専門的な活動として認め、社会福祉事業として定着させて欲しいと思わずにはいられない。奉仕員事業が残ることは何の問題もない。しかし、「要約筆記者の派遣事業」は、第2種社会福祉事業として、はっきりと位置づけられ、制度としてこの社会の中に定着されなければならない。どんなに親切なボランティアが身の回りに今いるとしても、あるいは10年後にもいるとしても、そのことと、社会的に利用可能な制度が存在する、ということは、全くその意味が異なる。
 「通訳としての要約筆記」の専門性が認められ、その派遣が第2種社会福祉事業として定着する、自立支援法におけるコミュニケーション支援事業として市町村で派遣が必須事業として行なわれる、一日でも早くそうした状況が生まれれば、逆に、残された「聞こえの保障」の領域がもっともっと見えてくるはずだ。私たちにできることは沢山残されている。落語や漫才と言ったエンターテイメントや各種施設でのショー(例えば水族館のイルカショーなど)、あるいは学校教育といった領域で、今なお、沢山の中途失聴・難聴者は、取り残されたままだ。「通訳として要約筆記」を支える制度を「要約筆記者派遣事業」として早く定着させないと、「聞こえの保障」の残された領域は、いつまでも孤立した地域の取り組みとして残されてしまう。それで良いはずはない。


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TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
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