2009年05月08日

「要約筆記は通訳」と「通訳としての要約筆記」

 「要約筆記は通訳だ」という言い方がされている。要約筆記は、自分のコミュニケーション手段ではなく、他人のコミュニケーションを媒介するものだから、この言い方は、確かに要約筆記の姿を的確に指摘している。私が属している地元のサークルは、創立以来、「要約筆記等研究連絡会・まごのて」といって、わざわざ会の名称に「等」を入れているが、「等」を入れるとき、「要約筆記」だけでなく、映画の字幕も作るし、というような感じ方が確かにあった。では、「要約筆記は通訳」というだけで、良いのだろうか。私自身は、通常は「通訳としての要約筆記」という言い方をしている。要約筆記には様々な活動が含まれるが、その内の「通訳としての要約筆記」はこういうものだ、という説明をしている。この二つの表現、「要約筆記は通訳」と「通訳としての要約筆記」との関係はどういうものだろうか。以下、私見。
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 要約筆記は、手話のように言語それ自体を指し示している訳ではない。要約筆記の活動とは、必然的に、自己のコミュニケーションではなく、他者のコミュニケーションや情報取得をサポートする作業、ということになる。しかし、「要約筆記の活動」は「通訳」そのものでない様々な活動を、現実に含んで進められてきた。「要約筆記」は、福祉行政の谷間におかれ、手話を使わないために、社会の情報保障から取り残されてきた中途失聴・難聴者に聞こえを回復しようとする運動の全体を意味する、いわば歴史的な蓄積を背負ってきた。
 中途失聴・難聴者が聞こえを回復するために必要とするものの全体像は、最初から明らかだったわけではない。もちろん、中途失聴難聴者が互いの意思を疎通し合い、福祉の運動を進めていくために、難聴者協会などの会議で、話を筆記するという活動のあり方は、早くから認識されていた。しかしそれだけにとどまらず、ある時は映画の字幕を作ることが、時には政見放送に字幕を付けるように求める運動が、テレビの筆録を作る活動が、難聴児の学校生活を支える運動が、それを求める中途失聴難聴者の要望に応えようとして行なわれてきた。それらの活動が、「要約筆記活動」の幅を拡げ、その中身を少しずつ豊かにしてきたのだ、と私は理解している。
 活動の幅は、聴覚障害者の自己決定を支える通訳としての要約筆記の重要性が理解されることで、通訳の側に大きく拡がり、その一方で、中途失聴・難聴者と筆談を使った直接的なコミュニケーションを厭わない人との交流を伴う社会参加の活動としての広がりも作り出してきた。
 そうした多様な活動の中で、聴覚障害者の権利擁護という観点から、聞こえない人のコミュニケーションを支援する活動が、聴覚障害者の人権を擁護するものとして、2000年に、社会福祉事業に位置づけられた。つまり、「社会福祉事業として行なわれている要約筆記は通訳」だ、と言うことができる。聴覚障害者の権利を擁護するために必要となるもの、それは社会福祉事業として位置づけられるべきであり、そのように位置づけられた要約筆記は通訳なのだ。
 一方、この社会福祉事業として行なわれている要約筆記を、上述した歴史的な活動の中においてみると、それは「通訳としての要約筆記」ということになる。その回りには、通訳行為以外の活動がいくつも存在している。全要研が二年掛けて検討してきた要約筆記奉仕員の活動領域は、実際極めて広い。聞こえを保障すべき場所は、まだほとんど埋められていないと言っても良い。「要約筆記は通訳」だというのは、社会福祉事業としては、全く正しい。と同時に、これまでに、「要約筆記」という名前の元で行なわれてきた豊かな活動、中途失聴難聴者の聞こえの世界を少しでも拡げようとした様々な活動の全体を「要約筆記の活動」とみるとき、「通訳としての要約筆記」は、そのホンの一部を言い表わした言葉だ、ということになる。
 こう考えれば、両者を矛盾なく理解することができる。
  

Posted by TAKA at 03:24Comments(2026)TrackBack(0)要約筆記

2009年05月08日

「出星前夜」(飯嶋和一)小学館

 飯嶋和一「出星前夜」を読んだ。同じ作者の「始祖鳥記」を読んだのは2年ほど前か。その読了の印象は、きわめて鮮やかだった。まして今回は大佛賞受賞作品。期待に胸ふくらませて読んだのだが、読後の印象は全く異なった。この作品は残念ながら、無闇に分厚いだけだ。
 戦争と医者、というテーマは、司馬遼太郎の「花神」を思い出させた。幕藩体制と農民の蜂起、というテーマでみれば、白土三平の「カムイ外伝」を思い出す。「出星前夜」は、いずれのテーマでも、両者に遙かに及ばない。一つは、小さな破綻が、いくつもあって、物語を読む上で一々目障りだということ。もう一つは、登場人物を描く視点が定まらないこと。例えば、鬼塚監物。彼を描く視点が、登場人物から見た多面的な評価という形で造形されるなら視点が動くことは理解できるが、所々に作者の視点(いわゆる小説における神の視点)からの評価が差し挟まれる。これは意図的なものとは思われない。更に、地図を見ないと理解できない位置関係が取り上げられ、扉に地図が付けられているが、この地図が不十分で、参照しようとしてもできない場所がいくつかあること。
 しかし、これらはある意味では枝葉末節なことに過ぎない。一番の問題は、前半、鬼塚監物が感じ、そのために農の生活を選択した理由となったこと、つまり人を殺すことに対する強い嫌悪感、戦の、人を殺すことで成り立つあり方に対する強い否定が、後半の蜂起の中でどのような形で生きられるか、ということが全くなおざりにされ、ほぼ放棄されているということだ。このことは、寿安においても同じ。人を殺めた者が医者となって人を救えば許されるのか、という問題は、一人の誠実な人間が、生涯をかけるテーマだと思うが、それが寿安の中でどのように生きられたかは、末尾に数ページ、後日譚のように語られる僅かな記述から読み取る他はない。寿安は無私の人として残りの人生を生きたらしい。しかし、彼の中で、かつて人を殺めたことが、どのように生きられたかは分からないままだ。
 「カムイ外伝」では、正助は、蜂起を回避して「逃散」という手段を選択する。死んでは何にもならない、正助は最後までそう考え、最後まで武装蜂起に反対する。鬼塚監物は実在の人物らしいから、彼を逃散の首謀者にすることはできなかったろう。それならば、彼を、戦に対する、人を殺めて成り立つ生活に対する強い嫌悪感を抱いた人物として、物語の前半に造形したことは、そもそも間違っている。この物語が破綻している一番の理由はそこにある。
 歴史小説において、実在の人物の、不明な考え方や不明な行動とその理由を、作者が想像力によって埋めていくことが許されるとしても、それは整合性を保たなければならないはずだ。物語前半の鬼塚監物の考え方、感じ方を作者が造形するとすれば、それは後半の史実につながらなければならない。大佛賞受賞に当たって、「「たしかにここに歴史があった」と言う実感−傑作である」と井上ひさしは評したと、本の腰巻きに書いてあるが、本当だろうか。僕には、歴史は感じられなかった。
  

Posted by TAKA at 02:21Comments(1420)TrackBack(0)読書
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コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
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