2007年08月26日
要約筆記の現状
「要約筆記」という活動にすでに30年近く関わっている。初めてそのボランティア活動を知ったのが1978年の夏。難聴だった友人に頼まれて、「要約筆記」(当時は「OHP」と呼ばれていた)をしたのが最初だ。当時は、要約筆記奉仕員養成講座といったものはなく、見よう見まねで始めた。
「要約筆記」とは、手話を使わない、使えない聴覚障害者、一般には難聴者、中途失聴者のために、人の話を聞いて、書き取ることで通訳することを言う。広辞苑にも最新版には収録されている。書き取るのは、OHP(オーバーベッドプロジェクタ)の上、ということが多い。透明のフィルムにマジックで書いている文字は、書かれているその様子のままスクリーンに投影される。
話し言葉は、ふつうに話して、300字/分といわれている。速い人だと400字以上の人もいる(久米宏さんとか、黒柳徹子さんとか)。一方、手書きで書き取れる文字数は、60字くらい。速くかければもう少し文字数は増えるが、読み取るのが困難な文字になりやすい(要するに、書き殴った文字になり、乱れる)。そうすると、人の話の内容を伝えるためには、何か工夫がいる。30年くらい前に要約筆記が始まったとき、最初に工夫されたのは、略号、略語だ。当時は速記に似せていろんな記号が発明された。しかし、あまり記号が増えると、実は要約筆記は意味を失う。なぜなら、記号を覚えるなら、手話を覚えてもいいはずだからだ。要約筆記は、中途失聴者のように、人生の中途で突然聴覚を失った人が、それでも自分にはこのコミュニケーション手段がある、という形で利用されることが多いからだ。そのとき、画面に見知らぬ記号が飛び交っていては、コミュニケーションとしてすぐに使えない。
そこで全国標準として、略号は9つ、略語は4つが定められた。その後、要約筆記は、話し言葉をいかに要約するか、要約して短い書き言葉にしていくか、という方向と、手書きの文字数を増やすために、「二人書き」という二人で書く工夫をする方向と、大きく言えばこの二つの方向で発展してきた。
後者の二人書きは、主筆者が「口で書く」という感覚で使う。話し言葉を要約して書いてきて、行末近くまできたら口で書くのだ。そうすると補助者がその「口で書かれた言葉」を実際に行末に書き足していく。一行を二人で完成させることになる。この方法で、書き取れる文字数は10−25%くらい増える。そうすると、70文字〜80文字/分くらいはかけることになる。それでも、話し言葉全体からみれば、30%にはなかなか達しない。もとより、難聴者が中心の会合などでは、話し手が配慮してゆっくり目に話すので、二人書きをうまく駆使すると、かなりの部分がかけているように感じることがある。もともと人の話は冗長な場合も少なくないからだ。
しかしそれでも必ず要約することは必要になる。当初、「要約」は、
(1)不要な言葉を、単語レベルで捨てる。
(2)分かり切った言葉を省略する。
(3)例示を減らす、抽象化する。
といったレベルでとらえられてきた。日本語の話し言葉の要約という学問は、基本的にほとんどない。日本で、話し言葉(談話)の要約を研究している人は、早稲田大学の佐久間まゆみさんくらいだろうか。
従って、話し言葉の要約(しかも書き言葉にできる程度の要約)というものは、学問的な追究はされておらず、ほぼ素人の「あーでもない」「こーでもない」というレベルからスタートした。二重否定(例「なくもない」)は肯定文(「ある」)にできる、とか、例示が3つ以上あれば、2つ以下にするとか、様々なパターンが提案されてはいたが、なかなか「学んで使える」というものにはならなかった。
その一番大きな理由は、話し言葉の速さ(約300字)と書き言葉の遅さ(約60字)にとらわれて、そこでおこなわれていることが、「通訳」行為に近いものであり、伝えるべきは概念なのだという理解がなかったことなのだ。要約筆記で行なわれていることが、いったい何なのかをしっかり追求し、そもそもコミュニケーションにおいて渡されているものは何なのか、をもう少し考える必要があった。
ではなぜ、要約筆記を通訳行為としてとらえることができなかったのか。これにはいくつもの理由があっが、この点は、また次回。
「要約筆記」とは、手話を使わない、使えない聴覚障害者、一般には難聴者、中途失聴者のために、人の話を聞いて、書き取ることで通訳することを言う。広辞苑にも最新版には収録されている。書き取るのは、OHP(オーバーベッドプロジェクタ)の上、ということが多い。透明のフィルムにマジックで書いている文字は、書かれているその様子のままスクリーンに投影される。
話し言葉は、ふつうに話して、300字/分といわれている。速い人だと400字以上の人もいる(久米宏さんとか、黒柳徹子さんとか)。一方、手書きで書き取れる文字数は、60字くらい。速くかければもう少し文字数は増えるが、読み取るのが困難な文字になりやすい(要するに、書き殴った文字になり、乱れる)。そうすると、人の話の内容を伝えるためには、何か工夫がいる。30年くらい前に要約筆記が始まったとき、最初に工夫されたのは、略号、略語だ。当時は速記に似せていろんな記号が発明された。しかし、あまり記号が増えると、実は要約筆記は意味を失う。なぜなら、記号を覚えるなら、手話を覚えてもいいはずだからだ。要約筆記は、中途失聴者のように、人生の中途で突然聴覚を失った人が、それでも自分にはこのコミュニケーション手段がある、という形で利用されることが多いからだ。そのとき、画面に見知らぬ記号が飛び交っていては、コミュニケーションとしてすぐに使えない。
そこで全国標準として、略号は9つ、略語は4つが定められた。その後、要約筆記は、話し言葉をいかに要約するか、要約して短い書き言葉にしていくか、という方向と、手書きの文字数を増やすために、「二人書き」という二人で書く工夫をする方向と、大きく言えばこの二つの方向で発展してきた。
後者の二人書きは、主筆者が「口で書く」という感覚で使う。話し言葉を要約して書いてきて、行末近くまできたら口で書くのだ。そうすると補助者がその「口で書かれた言葉」を実際に行末に書き足していく。一行を二人で完成させることになる。この方法で、書き取れる文字数は10−25%くらい増える。そうすると、70文字〜80文字/分くらいはかけることになる。それでも、話し言葉全体からみれば、30%にはなかなか達しない。もとより、難聴者が中心の会合などでは、話し手が配慮してゆっくり目に話すので、二人書きをうまく駆使すると、かなりの部分がかけているように感じることがある。もともと人の話は冗長な場合も少なくないからだ。
しかしそれでも必ず要約することは必要になる。当初、「要約」は、
(1)不要な言葉を、単語レベルで捨てる。
(2)分かり切った言葉を省略する。
(3)例示を減らす、抽象化する。
といったレベルでとらえられてきた。日本語の話し言葉の要約という学問は、基本的にほとんどない。日本で、話し言葉(談話)の要約を研究している人は、早稲田大学の佐久間まゆみさんくらいだろうか。
従って、話し言葉の要約(しかも書き言葉にできる程度の要約)というものは、学問的な追究はされておらず、ほぼ素人の「あーでもない」「こーでもない」というレベルからスタートした。二重否定(例「なくもない」)は肯定文(「ある」)にできる、とか、例示が3つ以上あれば、2つ以下にするとか、様々なパターンが提案されてはいたが、なかなか「学んで使える」というものにはならなかった。
その一番大きな理由は、話し言葉の速さ(約300字)と書き言葉の遅さ(約60字)にとらわれて、そこでおこなわれていることが、「通訳」行為に近いものであり、伝えるべきは概念なのだという理解がなかったことなのだ。要約筆記で行なわれていることが、いったい何なのかをしっかり追求し、そもそもコミュニケーションにおいて渡されているものは何なのか、をもう少し考える必要があった。
ではなぜ、要約筆記を通訳行為としてとらえることができなかったのか。これにはいくつもの理由があっが、この点は、また次回。