2007年09月29日

「要約筆記」と通訳行為−その1

 私は現在、「要約筆記」は通訳行為であると考えているが、「要約筆記」という言葉は重層的で、混乱がある。通訳行為でないものも「要約筆記」と呼ばれることが実際あるのだ。少しこの点を整理してみたい。混乱の第一の理由は、従来、要約筆記に関わってきた人は、自らの行為の全てを「要約筆記」と呼んでいたというところにある。前に書いた「聞こえの保障」が求められている広い領域の中で、「通訳としての要約筆記」がカバーしている部分以外、例えば映画の字幕制作なども、要約筆記者の活動としてとらえられていた。
 この時期は、「要約筆記者の活動」=「聞こえの保障の全運動」と考えられており、「聞こえの保障の全運動」の一部に「通訳行為としての要約筆記」(その場の情報保障を支える要約筆記)というものがあった。そしてよく見ると、「要約筆記者」というのは、「要約筆記奉仕員」のことだった。
 何度も書くが2004年から始まった全難聴の要約筆記に関する調査研究事業は、このうちの「通訳行為としての要約筆記」に強く着目した。その場の情報保障を支援することが、聴覚障害者の権利擁護、つまり聴覚障害者がその場の情報を得て、その場に参加し、自ら判断し、行動するという聴覚障害者の当然の権利を、直接擁護するものになると考えたのだ。折からの社会福祉基礎構造改革の中、公的な支援により実現すべきものはなにか、と考えたとき、障害者の権利擁護のためにまず必要になるものを明確にしようとしたのだと言っても良い。
 2004年度の事業を担った委員会の中では、「要約筆記は必ず通訳としての側面を持つ」という意見と、「通訳行為でない要約筆記もあり得る」という意見とが、対立した。前者の立場は、要約筆記を手話と対比することにより明確になる。手話は、自らがろう者とコミュニケーションするために身につける、という側面と、他人のコミュニケーションを支援するために用いる、という側面とがあることは、容易に理解される。ところが要約筆記は、自らが中途失聴・難聴者とコミュニケーションするために用いるという側面は想定しにくい。本人が書くことは、要約筆記ではなく、通常「筆談」と呼ばれる。つまり、手話と違って、要約筆記は、必ず通訳行為を含む、ととらえたのだ。
 他方、音声情報から隔てられている人に、その聞こえを保障しようとすれば、その場の情報保障としての要約筆記だけでは不十分なのだ、という点から要約筆記を見たのが後者の視点だ。字幕制作、字幕付き上映、テープ起こし、筆録などの取り組みは、では誰がするのか。それらの活動を支えていたのは、伝統的に、要約筆記者だったはずだ。とすれば、要約筆記者が行なってきた、現に行なっている活動を「要約筆記」ととらえられるはずだ、要約筆記には必ずしも通訳行為を想定する必要はない、ととらえたのだ。
 両方の議論を一つに止揚する方法が一つだけあったと私は考えている。それは、前者の立場を「要約筆記通訳」と命名することだった。そしてそのような通訳行為をする人を「要約筆記通訳者」と呼ぶ。従来からの聞こえの保障の広い活動領域全体は、要約筆記ととらえる、ということだ。こうすれば、二つの議論は共に生かされる。
 しかし、全難聴の2005年の事業では、最終的には、「要約筆記通訳」「要約筆記通訳者」という名称は採用されなかった。途中まで、「要約筆記通訳」という言葉は使われていたのだ。しかし、最終的な報告書として出された「通訳としての要約筆記者への展望」では、そこで提案されたカリキュラム案を含めて「要約筆記通訳」という名称は使われていない。
 その最大の理由は、同じ時期に法案が国会に上程され、紆余曲折を経て、2005年10月に成立した障害者自立支援法の地域支援事業の要綱の中で、「要約筆記者」という呼称を用いていたという点にあった。法律とその実施要綱で使われている言葉を使うべきではないか、おそらく、要約筆記通訳者と要約筆記奉仕員との関係は、様々に議論される。であれば、最初から自立支援法に合わせて「要約筆記者」とした方が良いのではないか。確かにそれは一理も二里もある考え方だった。
 こうして、報告書とカリキュラムの記載は「要約筆記」「要約筆記者」に統一された。このため、本来なら「要約筆記通訳は通訳行為である」(当たり前)とされるべきところが、「要約筆記は通訳行為である」と読まれてしまうことになった。おそれていた混乱はやはり生じた、というべきかも知れない。
 そして更にこの障害者自立支援法の地域支援事業の要綱の記載が、別の混乱を招くことになった。この点は、次回。


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TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
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