2009年06月27日
全要研集会第1分科会−その3,4
3枚目の画面はこれ。
検討の入り口として、第1回の作業部会の検討会で話し合ったのは、「聴覚障害者が暮らしやすい社会」とはどんなものか、と言うことでした。そこで話し合われたのは、聴覚障害者が暮らしやすい社会は、まず「聞こえない」「聞こえにくい」と言うことに対する理解がある社会だと言うことです。「社会」と言いましたが、要するに聴覚障害者の周りに「聞こえない」「聞こえにくい」というのはどういうことか知っている人が沢山いるということです。聞こえないという障害にどういう大変さがあるのか、ということを周りが知っていれば、必要があれば気軽に筆談するということになり、いちいち通訳者を連れて行くということをしなくても済む範囲が広くなります。第3分科会かな、災害時の対応については話し合っていると思いますが、どんなにインターネットとか、ファックスとか、災害時通報システムとか、開発されても、最後は人間、というところがあります。いざ避難と言うことになったとき、広報車が走ったとしても、「あっ、ここの家には聞こえない人がいるから」とドアを叩いてくれる、ドアを破って「早く避難しないと」と伝えてくれるのは人間です。そういう意味で、聞こえないこと、聞こえにくいことに対する理解のある社会ということが非常に重要です。
その一方で、社会に障害者を支える制度がある、ということも非常に重要です。個人の善意だけではなく、制度があるということです。障害者が必要とするときに、必要な支援が得られなければ、人権が擁護されているとは言えません。例えば、聴覚障害者が通訳者が欲しいという時、きちんとした制度があり、その制度に則って一定のレベルの通訳者が派遣されると言うことが必要でしょう。
そして、そうした制度に気づけること、また制度が利用されやすいものであることも重要です。どんなに優れた制度が用意されていても、その制度に気づけないとか、利用するのに手間がかかるというのでは、意味が有りません。
この、制度に気づける、利用しやすい、ということは、特に高齢難聴者の場合や難聴協会など入っていない、いわゆる未組織の難聴者の場合、大きな意味があります。4枚目の画面は、この点をまとめたものですが、まず、中途失聴・難聴者の組織率は低いし、特に高齢難聴者は、そもそも障害者という自覚は低く、福祉制度につながっていません。全難聴が2004年度に発行した調査報告にも記載されていますが、高齢難聴者は数は非常に多いのですが、要約筆記とか、福祉制度の利用率は低いという報告があります。
こうした高齢難聴者は、難聴協会などに入っていないことが多いのですが、難聴協会に入っていないと、なかなか福祉制度に気づきにくい、ということが言えます。難聴協会に入っていると、補聴器の補助がどうかとか、字幕デコーダーはどうか、とか情報がそれなりに入ってきますが、一人でいる中途失聴・難聴者には、なかなかそういう情報は入りません。地域の民生委員の方も、どういう福祉制度があるかまでは知らないとか、そういうことがあります。こうした組織化されていない難聴者、特に高齢難聴者がどういうルートで、福祉制度などに気づくか、という点です。
また、研究討論集会での論文にもいくつか示されていますが、聞こえにくい人や中途失聴者を対象とした聞こえの相談会などで非常に大きな反響があるということがあります。聞こえの相談会などを開くと、「知らなかった」とか、「こういう制度があれば、是非利用したい」といった反応が沢山寄せられているのです。
こうした点から、福祉制度につなぐ役割の大切さが見えてきました。社会に、障害者を支える制度があるだけでなく、その制度に容易に気づくことができ、利用しやすい制度であるということは非常に重要です。この後者の部分、それが「つなぐ役割」です。
検討の入り口として、第1回の作業部会の検討会で話し合ったのは、「聴覚障害者が暮らしやすい社会」とはどんなものか、と言うことでした。そこで話し合われたのは、聴覚障害者が暮らしやすい社会は、まず「聞こえない」「聞こえにくい」と言うことに対する理解がある社会だと言うことです。「社会」と言いましたが、要するに聴覚障害者の周りに「聞こえない」「聞こえにくい」というのはどういうことか知っている人が沢山いるということです。聞こえないという障害にどういう大変さがあるのか、ということを周りが知っていれば、必要があれば気軽に筆談するということになり、いちいち通訳者を連れて行くということをしなくても済む範囲が広くなります。第3分科会かな、災害時の対応については話し合っていると思いますが、どんなにインターネットとか、ファックスとか、災害時通報システムとか、開発されても、最後は人間、というところがあります。いざ避難と言うことになったとき、広報車が走ったとしても、「あっ、ここの家には聞こえない人がいるから」とドアを叩いてくれる、ドアを破って「早く避難しないと」と伝えてくれるのは人間です。そういう意味で、聞こえないこと、聞こえにくいことに対する理解のある社会ということが非常に重要です。
その一方で、社会に障害者を支える制度がある、ということも非常に重要です。個人の善意だけではなく、制度があるということです。障害者が必要とするときに、必要な支援が得られなければ、人権が擁護されているとは言えません。例えば、聴覚障害者が通訳者が欲しいという時、きちんとした制度があり、その制度に則って一定のレベルの通訳者が派遣されると言うことが必要でしょう。
そして、そうした制度に気づけること、また制度が利用されやすいものであることも重要です。どんなに優れた制度が用意されていても、その制度に気づけないとか、利用するのに手間がかかるというのでは、意味が有りません。
この、制度に気づける、利用しやすい、ということは、特に高齢難聴者の場合や難聴協会など入っていない、いわゆる未組織の難聴者の場合、大きな意味があります。4枚目の画面は、この点をまとめたものですが、まず、中途失聴・難聴者の組織率は低いし、特に高齢難聴者は、そもそも障害者という自覚は低く、福祉制度につながっていません。全難聴が2004年度に発行した調査報告にも記載されていますが、高齢難聴者は数は非常に多いのですが、要約筆記とか、福祉制度の利用率は低いという報告があります。
こうした高齢難聴者は、難聴協会などに入っていないことが多いのですが、難聴協会に入っていないと、なかなか福祉制度に気づきにくい、ということが言えます。難聴協会に入っていると、補聴器の補助がどうかとか、字幕デコーダーはどうか、とか情報がそれなりに入ってきますが、一人でいる中途失聴・難聴者には、なかなかそういう情報は入りません。地域の民生委員の方も、どういう福祉制度があるかまでは知らないとか、そういうことがあります。こうした組織化されていない難聴者、特に高齢難聴者がどういうルートで、福祉制度などに気づくか、という点です。
また、研究討論集会での論文にもいくつか示されていますが、聞こえにくい人や中途失聴者を対象とした聞こえの相談会などで非常に大きな反響があるということがあります。聞こえの相談会などを開くと、「知らなかった」とか、「こういう制度があれば、是非利用したい」といった反応が沢山寄せられているのです。
こうした点から、福祉制度につなぐ役割の大切さが見えてきました。社会に、障害者を支える制度があるだけでなく、その制度に容易に気づくことができ、利用しやすい制度であるということは非常に重要です。この後者の部分、それが「つなぐ役割」です。