2008年07月23日

青森往還

 青森まで行ってきた。講師の依頼を青森県支部からいただいたからだ。子育ても一段落し、講師依頼を受けられる条件があるところは引き受けるようにしている。2月は山口に行き、4月には九州に行ってきた。8月は石川に、9月は大阪に行く。通訳としての要約筆記というものの意味を要約筆記に関わる人に伝えたいと思っている。そして要約筆記(通訳)だけが、聞こえの保障の世界をカバーしているのではなく、むしろ聞こえの保障という世界のわずかな部分だけを「通訳としての要約筆記」がカバーしていること、それ以外にもたくさんの活動があり得ること、あったことを話している。
 聞こえない人の支援というとき、要約筆記者がしている支援の一つは、コミュニケーション支援だ。これは補聴を援助することとは違う。補聴器や人工内耳、あるいは音声認識による全文表示などは、補聴援助だと言える。補聴援助とは、聞き取れない言葉、聞こえにくい言葉のその聞こえを補助することを意味している。何か話されているが、自分の耳には○○○○としか音として入ってこず、何という言葉が話されたか分からない、というとき、これを補聴器や人工内耳により、少しでも分かるように補助する訳だ。補聴器を使えば(状況によるが)かなり聞き取れるとという難聴者が、話題が変わったとき、何の話かを素早く知りたいといわれることがある。話題が分かれば、関連語の範囲が狭まり、口話なども利用して、相手の話していることを聞き取ることが容易になるからだという。



 ところが手書き要約筆記は、こうした補聴援助とは全く異なる支援を目指している。手書き要約筆記は、補聴を援助するのではなく、意味内容をまとめて伝える、というタイプの支援、コミュニケーション支援を目指している。難聴者が、自分の聞き漏らした言葉を要約筆記の画面に求めてもその言葉がそこに現われるとは限らない。
 「小学校に入った後で」と話し手がしゃべったとして、聞いている人が「小学校に」という部分を聞き取りにくいとしよう。これを聞き取りやすくするために、デジタル補聴器などを使う、人工内耳のスピーチプロセッサを適合させるというのが、補聴援助だ。しかし、要約筆記は、このとき「就学後に」と書いているかも知れない。どう書いているかは、話の全体の中で判断されるから、一つには決まらないが、話し手の言葉そのままで書くとは限らない、ということはできる。要約筆記の画面を見ても、「小学校に」という文字は現われるとは限らない、そのことは、要約筆記を使っている難聴者、中途失聴者には知って欲しいと思う。
 これは、意味の伝達が、その表現の伝達より優先する場で要約筆記を利用するということを考えているからだ。これが「通訳としての要約筆記」という言葉の一つの意味なのだ。要約筆記は現実には、こうした「意味内容の伝達を優先する場面」以外でも用いられる。そのことは理解しているが、まず会議や交渉、講演といった場面での情報の伝達を優先し、その技術や支援のあり方を明確にしようとするのが、「通訳としての要約筆記」の意味だし、目指しているものなのだ。「意味内容の伝達よりも、表現の伝達を優先する場面」では、通常の手書き要約筆記とは異なるアプローチが必要となる。このことは、このブログでも何度か書いてきたことだ。
 青森では、「自分たちは要約筆記をするボランティアとして育てられたとは考えていない。最初から、公的な派遣制度を担う要約筆記者として育てられてきたし、講座が終われば認定試験がある。合格率は決して高くない。」という話を聞いた。まだ大きなうねりにはなっていないとしても、要約筆記という支援の内実を、ボランティア活動と公的な派遣制度とに分けてきちんと整理し、更に「通訳としての要約筆記」が補聴援助ではなく、意味の伝達を中心としたコミュニケーション支援であることを理解した活動が、広がっていることを実感することができた。名古屋−青森間は、鉄路で7時間。その復路は、往路より短く感じられた。
  

Posted by TAKA at 23:57Comments(0)TrackBack(0)要約筆記

2008年07月23日

全要研総会のこと

 全要研総会からすでに1か月が過ぎた。総会の運営については、いろいろ批判やご意見をいただいている。難聴協会の会報にさえ、関連記事が載っている。それだけ、関心を持っていただいているということだろう。しかし思い込みのままの関心は、結局偏見になってしまう。個人的な感想になってしまうが、運営について知るところを書いておきたい。
 運営方法について反対の意見を持っている人や、もともと新理事会の人選に反対の人たちには、そのまま信じてもらうことは難しいのかも知れないが、全要研総会の進行、委任状の扱いなどについて、名古屋事務所で準備をしてきた者の一人として、公平な扱い、会員一人一人の意志の尊重ということを考えて様々な検討をしてきたということは伝えたい。おそらく会員の誰よりも、全要研名古屋事務所のメンバーは、そのことについて、あり得る可能性の様々を検討し、準備してきたと思っている。それは事務所の仕事だから、ある意味で当たり前だ。いずれかの立場で何かを準備した訳では全くない。
 今回人事について修正動議が出されて、思いがけない結果になったが、私は個人的にはああいう形の動議は出して欲しくなかった。人事は、僅差の選挙で決することは望ましくないと考えているからだ。すでに理事会で、同じ人事を諮っている。そのときも僅差だった。人事は、可能ならば、8割以上が納得するもの、というのが望ましいと思っている。もちろん修正動議を出すこと自体は、会員の権利として確保されている。その場で定款に定められた1/5を十分上回る数の賛成があったのだから、取り上げ、討議し、決着をつけるということは全く正しい。従って、上記は私の個人的な心情に過ぎない。
 そのような個人的な心情はさておき、仮に修正動議が出されたら、どうするか、ということを考えて準備をしておく、というのが、事務局や事務所の仕事だ。かつての全要研総会は、黄色のカードを出席している正会員に配布し、このカードを携えての挙手を数えていた。しかし、何度数えてもなかなか票数が一致しない、個人委任を受けている場合、両手で足りないなど、様々な問題が生じていた。これをどうにかしようと考えて、現在の色別(番号別)カードの配布、投票という形にたどり着いた(2006年度総会から実施)。
 今年について言えば、更に理事会が、投票の方法を考えて、箱を持ってカードを集める人、壇上で数える人、確認する人などを分担しあった。壇上でカウントする様子を見えるようにし、更に退席者については退席の際にカードを返却してもらい、これを議長の机に順次積み上げていくようにした。この退席者の数に関して、決議の際には議場の扉を閉めて、と議長が説明した。議決の最中に「帰る」という人がいると、その時点の投票の母数が不明確になるからだ。採決時の母数を確定させるという意味で、議場の閉鎖は当たり前のことだと思う。すべては、総会での議決が公正に行なわれていることを示すために検討され、採用されたものだ。
 委任状にことはすでに書いた。これも今から思えば、出欠確認の葉書を出す時点で、もっと良い方法を考えておくべきだったかも知れない。もともとあの葉書の文面は、4案くらいを検討し、一番誤解のないもの、と考えて作成している。それでも、戻ってきた葉書の書き方は実に様々だった。委任する相手を、名字だけとか、地域名+名字などで特定してくる人がおられるとは思いもしなかったのが正直なところだ。
 委任をすべて認めて準備をし、会場で、採決用のカードの束を渡したときに、委任を否定されたらどうするのか、など、様々なケースも検討した。実際、複数の方の委任を受けている(筈の)会員が、「欠席」の葉書を送ってきているケースもあった。これはいったいどういうことだろうか、と訝かしんだ。結局、委任している人が、相手の承諾を取っていないケースが多いのではないか、ではこの委任(委任を受けた人が欠席の場合の委任)は、どこに行くのか、どう考えれば、公平さを保ち、かつ委任した人の意志をもっとも生かせるのか、簡単に答えが出ることではなかった。
 総会での議事については、総会の場で専任された議長に任される。事情を知っている人が議長をする方が進行はうまくいく。しかしそれでは中立性は担保できない。従って、理事から議長を出すことはできない。議長は理事会に参加していないから、前後のいきさつは分かっていない。その中で、あの総会の議長をすることは、本当に大変だったと思う。議長を引き受けてくださった村上さんには深く感謝したい。本当にありがたかった。壇上の理事は右往左往していたように見えただろうか。見えたかも知れない。「こうすればよい」と思っても、議長の権限に容喙することは避けたい、そういう思いがあった。強いて言えば、長たるものが、リーダーシップを発揮して欲しいと一番感じる場面だった。理事長や事務局長が曖昧なことを言っては、まとまるはずがない。
 こうした総会運営について、事務所のメンバーで検討して案を作る際、よりどころにしたのは、結局「原則に従う」というものだった。80%以上の賛同が得られるなら、どういうやり方をしてもあまり大きな問題にはならない。前例主義でもいいだろう。しかし、僅差の争いになる可能性があるとき、あるいは複数の意見が拮抗しているようなケースでは、結局原則に立ち返るのが一番良い、ということだった。原則とは、まず第1に自分たちの会の定款だ。定款に定めのないものについては、社会の一般則。民法などの法律に規定のあるものは、それらの規定。そこに沿って整理をした。例えば委任状の記載。委任する相手の特定の仕方までは定款には書いていない。そこで、一般則に従う。人の特定は氏名(フルネーム)が基本、その上で年齢など補助的な情報を合わせて本人確認をしている。そこで、二つの情報を合わせて個人が特定可能な場合には、認めることにした。細かいことを言えば、全要研には同姓同名(同一漢字)という会員がおられる。従って、フルネームでも足りない場合はあるのだが、葉書に「氏名」としか書かなかった以上、住所や会員番号まで要求することはできないと判断した。
 そうした一つ一つの判断と想定とを組み立てて総会に臨んだ。委任の扱いについては三役会で相談し、おおむね判断が固まったところで理事会に報告し、最後は集会初日、午前中の理事会で確認がなされた。一部三役案とは異なる判断も、理事会の場でなされた(委任者が特定できなかった場合の委任は、無効とすると整理したが、理事会では議長委任とする、とされた)。こういうことはよくある。理事会前の整理は、各担当者が行なうとしても、それをそのまま追認するのが理事会ではないからだ。理事が一人一人、その見識を生かして議論し判断することで健全な会運営がなされるはずだ。
 会員約1500,そういう会が、一つにまとまって、年間の運営をしていくことは、そんなにたやすいことではないだろう。しかし避けては通れない課題だ。一般論として、全員を満足させることはほぼ無理だろうと思うが、公正さを保つ努力は怠ることができない。足りないところもあったとは思うが、現在の規定(定款)や体制(専従者の有無など)の中で、事前に準備できるところは準備してきた、ということはできる。事前の膨大な準備作業を、総会参加者が感じてくださるということは難しいのだろうか。何を考え、何を準備してきたか、ということを伝える努力もまた必要なのだろう。
  

Posted by TAKA at 23:51Comments(0)TrackBack(0)要約筆記
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 12人
プロフィール
TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
オーナーへメッセージ