2007年10月09日

要約筆記と通訳行為(補遺)

 先に、要約筆記が通訳として認められにくかった理由として3つの観点から整理した。その2番目、3番目として、
[2]要約筆記を利用する人の要望
[3]話しことばと書きことばの速さのギャップの前で
の二つを挙げた。しかし私はここで、誰かの責任を問おうとしている訳ではない。中途失聴者・難聴者が、音から隔てられていると感じ、要約筆記に対して、言葉それ自体の回復を求めたとしても、それは自然なことだと思う。その要望それ自体か間違っているとは全く思わない。ろう者は手話を母語にしている。私たち、日本語を母語として育った者が日本語を誤らないように、手話を母語として育った人は手話を誤らない。しかし、中途失聴者・難聴者は、要約筆記を母語として育つ訳ではない。ここに、手話と要約筆記の決定的な違いがある。
 中途失聴者・難聴者の要望は、要望として存在するし、それはいつか、技術の発展と支援の形の充実によって、満たされる日が来ると私は思う。現在のパソコン要約筆記では、まだその要求に十分に応えることはできないが、いずれその要望に応える機械か活動が生まれるだろう。しかし、手書きの要約筆記は、その要望に応えられるものではない。どんなにがんばっても、話すように書くことはできない。それだけのことだ。
 しかし、中途失聴者・難聴者の聞こえの保障を求める要求のうち、ある部分は、手書き要約筆記以外にこれを支援する方法はなかったのだ。そして現在でも、手書き要約筆記が対応しなければならない領域はまだまだ広い。その要望に応える方法は、隔てられた音をそのまま回復することではなく、話し手の意図したもの、話し手が伝えようと願った内容(概念)を、書き取ることができる文字数の中で、明快に伝えていく、そういう方法だったということだと思う。中途失聴者・難聴者の要望を聞き届け、しかし現実に可能な支援を構築していく、そういうことが試みられたのだ。良い悪いの問題ではなく、その支援の形が、なかなか「通訳行為」として整理できなかった、ということに過ぎない。

 また、要約筆記奉仕員養成講座で養成された要約筆記奉仕員が、話しことばと格闘して、話しことばの性質を十分には検討できなかったとしても、それは要約筆記奉仕員の責任ではない。もともと奉仕員に、そうした責務が課されていた訳では全くなかったのだから。
 むしろ課題は、要約筆記奉仕員という形にいつまでもとどまって、話しことばと本気で格闘する人を育てなかった点にある。要約筆記の専門性、というのであれば、ただ単に、50時間程度の講座を受けたことをもって「専門性」と呼ぶのではない。訓練しないかぎりできないことをする、というのが専門性の最初の意味のはずだ。そしてその次に、通訳行為への意図的な取り組みがくる。全難聴の要約筆記に関する調査研究事業が、「要約筆記者」の到達目標として掲げた「「通訳」という行為に対する自覚的な理解をしていること」とは、まさにこのことを伝えようとしている。
 要約筆記奉仕員が育つ中、先を見通して、話しことばと格闘する人を育てる必要があったと言えるだろう。

 繰り返しになるが、犯人捜しは全く本意ではない。要約筆記の短からぬ歴史の中で、できたこと、できなかったことを整理しておきたい。整理して、見通しを作ることで、次のステップに進める。そう思っている。  

Posted by TAKA at 23:10Comments(0)TrackBack(0)要約筆記

2007年10月09日

要約筆記と通訳行為−その2

 このブログを始めて間もない頃に、「どうして要約筆記は通訳として認められにくいのか」という問いを立ててそのままにしている(8月26日付け、「要約筆記の現状」参照)。今日は少しこの点を整理してみたい。要約筆記が通訳として認められにくかったのは、大きく分けて三つの理由があったと私は考えている。
 一つは、要約筆記が日本語間のやりとりを媒介しているために、通訳としての側面が見にくかったということ。もう一つは、要約筆記を利用する中途失聴・難聴者の要望。そして最後が、要約筆記者自身が、話し言葉の速さにどうしても目を奪われて、他人の話を媒介するという作業の本質に対して十分に迫れなかったこと、だ。順を追って説明したい。

[1]日本語間のやりとりである、ということ
 まず要約筆記が日本語間のやりとりを媒介するから、という点だが、これは異言語間の通訳と比較するとわかりやすい。もともと異言語間通訳は、いわゆる逐語訳ではつとまらない。このことは異なる二つ以上の言語を少し扱った経験のある人ならすぐに了解される。分からない単語のすべてについて辞書を引いて、単語の意味が分かったとしても、文を正しく訳すことはできない。まして達意の言葉にして通訳することはできない。
 例として、言語学者の鈴木孝夫氏がその著書「日本語と外国語」(岩波新書)で挙げたフランス語における「オレンジ色の封筒」という表現を取り上げてみよう。鈴木孝夫氏は、この表現に接して、あるとき、フランス人にとって「オレンジ」という色は、我々日本人にとっての「茶色」を含むのだと気づく。つまり「オレンジ色の封筒」とは「茶封筒」のことだったのだ。日本では虹は七色だが、世界中で虹を七色と数えている国は少ない。ヨーロッパでは、「リンゴのような頬の女の子」とは青白い病弱なイメージを喚起する。したがって、異言語間の翻訳や通訳は、言葉に沿って訳す逐語訳ではなく、話し手が言おうとしたことを理解して伝えるという作業が絶対に必要になる。言葉のままに訳したのでは、意味が伝わらず、場合によっては誤解や行き違いを生じるからだ。実際、「オレンジ色の車でお迎えに参ります」と言われた鈴木孝夫氏は、いつまでたったも現われないオレンジ色の車を、茶色の車の傍らで待ち続けたという。異言語間の通訳は、こうした文化的な読み替え、言い替えの上に成り立っている。「言い替え」と書いたが、それは「替える」のではなく、本当は、話し手が伝えたいと願ったことを、通訳者が理解し、理解したものを、聞き手(読み手)が使う言語の世界で表現する行為なのだ。
 これに対して、要約筆記は同じ日本語間で話を媒介するものだ。話し手が、頬の紅い健康的な女の子をイメージして「リンゴのような頬の女の子」と言えば、聞き手にも同じイメージが喚起されると期待することができる。話し手が「オレンジ色の車」と言えば、確かにオレンジ色の車がお迎えに来るだろう。であれば、話し手の言葉をそのまま使えばよい、話し手の言葉と異なる言葉を使うべきではない、と要約筆記者が考えたとして不思議はない。話し手の言葉をできるだけ生かして話を伝えるとは、この間の消息を伝えるものだ。

[2]要約筆記を利用する人の要望
 第二の理由、要約筆記を利用する中途失聴者・難聴者の要望はどうだろうか。これには更に二つの側面がある、と私は考えている。一つは、音から隔てられた中途失聴者・難聴者の心情、もう一つは、話し手としての中途失聴者・難聴者の心情、だ。中途失聴者は、人生の途中で聴力を失ったから、それまでは音声が聞こえていたことになる。したがって、音は最初から失われていた訳ではなく、音はあり、そこから隔てられていると感じているのではないだろうか。難聴者の受けとめ方も似ているのでないだろうか。1975年に岩波新書の一冊として発行された「音から隔てられて」(編集・入谷仙介、林瓢介)という書籍の書名は、この中途失聴者・難聴者の心情を端的に表わしていると、と私は感じてきた。中途失聴者・難聴者にとって、隔てられている音声を回復したい、という要望は当然のことだ。補聴器が、隔てられている音声を、音声のまま少しでも取り戻そうとする装置である考えられるとすれば、音声を文字化することで、これを取り戻そうという利用の仕方を要約筆記に求めるということがあったのではないか。聞き取りにくい言葉を時に補聴器が明確にするように、聞き取りにくい言葉を要約筆記のスクリーンに求めて明確にしようする、そういう利用の立場から言えば、話し手の使った言葉はそのままスクリーンに現われて欲しいはずだ。
 もう一つ、話し手もまた中途失聴者・難聴者だったとはどういうことだろうか。要約筆記が当初使われた場面は、中途失聴者・難聴者の会合、例えば典型的には、中途失聴者難聴者協会の例会などだった。そうすると要約筆記の利用者は、同時に、要約筆記における話し手でもあったのだ。したがって、要約筆記の現場では、話し手も中途失聴・難聴者、それを見ているのも中途失聴・難聴者だった。話し手からすれば、自分の使った言葉が使われない、というのは不満になる。話し手には、その言葉を使って物事を伝えたいという気持ちがある。その気持ちがあるからその言葉が選択されたのだといえる。例えば、相手に対して十分な気遣いをして、「あまりお引き留めして、後のご予定に差し支えては、と心配しておりますが」と話したとき、要約筆記の画面に例えば「退席されては?」と書かれると、「自分はこんな言い方はしなかった、こんな直接的な言い方では失礼に当たらないか」と感じてしまう、ということは、話すことに対して意識的な話し手であればあるほど、起きるはずだ。自分の話したままに書いて欲しい、と話し手である中途失聴者・難聴者が感じ、そのように要望したとしても不思議ではない。
 要約筆記者は、聴覚障害者、とりわけ中途失聴者・難聴者を支援しようという気持ちで活動をしている立場だから、中途失聴者・難聴者の要望に耳を傾け、その要望を尊重したいと考えるだろう。「音から隔てられて」いる気持ちに立って、音声それ自体を取り戻したいという要望、話し手である中途失聴・難聴者の、言葉に託した自らの心情をそのまま伝えるために、託した言葉自体を書いて欲しいという要望、要約筆記者は、それらに応えようとしてきたのだと言える。それが、話し手の話の内容を伝える、つまり通訳としての要約筆記ではなく、話し手の言葉を生かした要約筆記という目標を掲げる理由につながったのではなかったか。

[3]話しことばと書きことばの速さのギャップの前で
 最後に、話しことばと書きことばの速さの違いという問題がある。一般に話しことばの速度は1分間に300字程度とされ、他方、手書きの速度は1分間にせいぜ60字程度だとされる。書き取ることができる文字数は話しことばの約20パーセントでしかない。私たち要約筆記者はその速度のあまりに大きな違いの前で、どのようにこの差異を乗り越えるかという点について、十分な検討ができなかったように私は思う。もちろん、全要研集会では毎年のように「技術」の分科会がもたれ、その主要なテーマは「要約」の技術であり、研究誌にも要約をめぐるたくさんの論考が掲載されてきた。はやく1994年発行の研究誌第5号、翌年の第6号には、ユニークな要約の技術的な考察が掲載されている。しかし、それらの研究が、その後の要約筆記における要約の研究の発展には、うまく結びつかなかった。それはなぜか。
 思うに、私たち要約筆記者は、話しことばと十分な格闘をしなかったのだ。要約筆記者、当時の要約筆記奉仕員は、一般の人がボランティアである奉仕員の養成講座を受けることで養成される。当然、日本語の研究者ではないから、「要約」について関心をもっても、なかなか実証的な検討をするところまで至らない。いわゆる素人の思いつきの域をでることが難しいのだ。
 日本語の普通の使い手として、日本語に関してものを言うことは難しくない。例えば、「○○しないこともない。」という二重否定文に出会えば、これを「○○する。」と言い得る、ということは気づくだろう。しかし、日本語の中で二重否定文が使われる理由、その場合のあるうべき類型の発見、肯定文に変形できる原則と例外の整理、といったところまで、普通の要約筆記者にできる訳ではない。日本語の専門家によるこうした仕事は、確かに行なわれてはいるが、私たちが毎日使っている日本語の豊かな表現と比べると、その研究はきわめて限定的なものだ。日本語は、他の多くの言語同様、文法(言語の運用規則)の決定や語彙の選定が先にあって、それに基づいて運用されている言語ではない。私たち日本人が、おそらく何千年も昔から自然に使い始め、様々な外来の文化と共に受け入れた言葉を消化しつつ、日本の社会のあり方を反映させて、分化と統合を繰り返しながら作り上げられてきた言語、すなわち自然言語の一つだ。したがって、ある言葉の運用が正しいかどうか、同じ意味を伝える別の、より短い表現はどうのようなものか、という問いに直ちに答えることは、日本語の研究者にとってもきわめて難しい。研究されている領域は決して広くはない。しかも、そのほとんどは、書きことばを対象としており、話しことばに対して行なわれた研究というものはほとんどない。
 このため、他人に伝達することを目的として話しことばを書きとる際、日本語のどのような性質が利用できるのか、という点について、要約筆記者はほとんど徒手空拳だったと言わざるを得ない。自然言語としての日本語は、そのとき巨大な壁となって、要約筆記者の前にあった。

 以上の3つが、要約筆記を通訳として機能させることに対して、これを阻害する要因として働いてきたのではないか、私は、現時点ではそんなふうに整理している。もちろんこれ以外の理由もあったかも知れない。が、主な理由は、この3つではなかっただろうか。  

Posted by TAKA at 04:27Comments(0)TrackBack(0)要約筆記
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TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
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