2008年07月23日

青森往還

 青森まで行ってきた。講師の依頼を青森県支部からいただいたからだ。子育ても一段落し、講師依頼を受けられる条件があるところは引き受けるようにしている。2月は山口に行き、4月には九州に行ってきた。8月は石川に、9月は大阪に行く。通訳としての要約筆記というものの意味を要約筆記に関わる人に伝えたいと思っている。そして要約筆記(通訳)だけが、聞こえの保障の世界をカバーしているのではなく、むしろ聞こえの保障という世界のわずかな部分だけを「通訳としての要約筆記」がカバーしていること、それ以外にもたくさんの活動があり得ること、あったことを話している。
 聞こえない人の支援というとき、要約筆記者がしている支援の一つは、コミュニケーション支援だ。これは補聴を援助することとは違う。補聴器や人工内耳、あるいは音声認識による全文表示などは、補聴援助だと言える。補聴援助とは、聞き取れない言葉、聞こえにくい言葉のその聞こえを補助することを意味している。何か話されているが、自分の耳には○○○○としか音として入ってこず、何という言葉が話されたか分からない、というとき、これを補聴器や人工内耳により、少しでも分かるように補助する訳だ。補聴器を使えば(状況によるが)かなり聞き取れるとという難聴者が、話題が変わったとき、何の話かを素早く知りたいといわれることがある。話題が分かれば、関連語の範囲が狭まり、口話なども利用して、相手の話していることを聞き取ることが容易になるからだという。



 ところが手書き要約筆記は、こうした補聴援助とは全く異なる支援を目指している。手書き要約筆記は、補聴を援助するのではなく、意味内容をまとめて伝える、というタイプの支援、コミュニケーション支援を目指している。難聴者が、自分の聞き漏らした言葉を要約筆記の画面に求めてもその言葉がそこに現われるとは限らない。
 「小学校に入った後で」と話し手がしゃべったとして、聞いている人が「小学校に」という部分を聞き取りにくいとしよう。これを聞き取りやすくするために、デジタル補聴器などを使う、人工内耳のスピーチプロセッサを適合させるというのが、補聴援助だ。しかし、要約筆記は、このとき「就学後に」と書いているかも知れない。どう書いているかは、話の全体の中で判断されるから、一つには決まらないが、話し手の言葉そのままで書くとは限らない、ということはできる。要約筆記の画面を見ても、「小学校に」という文字は現われるとは限らない、そのことは、要約筆記を使っている難聴者、中途失聴者には知って欲しいと思う。
 これは、意味の伝達が、その表現の伝達より優先する場で要約筆記を利用するということを考えているからだ。これが「通訳としての要約筆記」という言葉の一つの意味なのだ。要約筆記は現実には、こうした「意味内容の伝達を優先する場面」以外でも用いられる。そのことは理解しているが、まず会議や交渉、講演といった場面での情報の伝達を優先し、その技術や支援のあり方を明確にしようとするのが、「通訳としての要約筆記」の意味だし、目指しているものなのだ。「意味内容の伝達よりも、表現の伝達を優先する場面」では、通常の手書き要約筆記とは異なるアプローチが必要となる。このことは、このブログでも何度か書いてきたことだ。
 青森では、「自分たちは要約筆記をするボランティアとして育てられたとは考えていない。最初から、公的な派遣制度を担う要約筆記者として育てられてきたし、講座が終われば認定試験がある。合格率は決して高くない。」という話を聞いた。まだ大きなうねりにはなっていないとしても、要約筆記という支援の内実を、ボランティア活動と公的な派遣制度とに分けてきちんと整理し、更に「通訳としての要約筆記」が補聴援助ではなく、意味の伝達を中心としたコミュニケーション支援であることを理解した活動が、広がっていることを実感することができた。名古屋−青森間は、鉄路で7時間。その復路は、往路より短く感じられた。
  

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2008年07月23日

全要研総会のこと

 全要研総会からすでに1か月が過ぎた。総会の運営については、いろいろ批判やご意見をいただいている。難聴協会の会報にさえ、関連記事が載っている。それだけ、関心を持っていただいているということだろう。しかし思い込みのままの関心は、結局偏見になってしまう。個人的な感想になってしまうが、運営について知るところを書いておきたい。
 運営方法について反対の意見を持っている人や、もともと新理事会の人選に反対の人たちには、そのまま信じてもらうことは難しいのかも知れないが、全要研総会の進行、委任状の扱いなどについて、名古屋事務所で準備をしてきた者の一人として、公平な扱い、会員一人一人の意志の尊重ということを考えて様々な検討をしてきたということは伝えたい。おそらく会員の誰よりも、全要研名古屋事務所のメンバーは、そのことについて、あり得る可能性の様々を検討し、準備してきたと思っている。それは事務所の仕事だから、ある意味で当たり前だ。いずれかの立場で何かを準備した訳では全くない。
 今回人事について修正動議が出されて、思いがけない結果になったが、私は個人的にはああいう形の動議は出して欲しくなかった。人事は、僅差の選挙で決することは望ましくないと考えているからだ。すでに理事会で、同じ人事を諮っている。そのときも僅差だった。人事は、可能ならば、8割以上が納得するもの、というのが望ましいと思っている。もちろん修正動議を出すこと自体は、会員の権利として確保されている。その場で定款に定められた1/5を十分上回る数の賛成があったのだから、取り上げ、討議し、決着をつけるということは全く正しい。従って、上記は私の個人的な心情に過ぎない。
 そのような個人的な心情はさておき、仮に修正動議が出されたら、どうするか、ということを考えて準備をしておく、というのが、事務局や事務所の仕事だ。かつての全要研総会は、黄色のカードを出席している正会員に配布し、このカードを携えての挙手を数えていた。しかし、何度数えてもなかなか票数が一致しない、個人委任を受けている場合、両手で足りないなど、様々な問題が生じていた。これをどうにかしようと考えて、現在の色別(番号別)カードの配布、投票という形にたどり着いた(2006年度総会から実施)。
 今年について言えば、更に理事会が、投票の方法を考えて、箱を持ってカードを集める人、壇上で数える人、確認する人などを分担しあった。壇上でカウントする様子を見えるようにし、更に退席者については退席の際にカードを返却してもらい、これを議長の机に順次積み上げていくようにした。この退席者の数に関して、決議の際には議場の扉を閉めて、と議長が説明した。議決の最中に「帰る」という人がいると、その時点の投票の母数が不明確になるからだ。採決時の母数を確定させるという意味で、議場の閉鎖は当たり前のことだと思う。すべては、総会での議決が公正に行なわれていることを示すために検討され、採用されたものだ。
 委任状にことはすでに書いた。これも今から思えば、出欠確認の葉書を出す時点で、もっと良い方法を考えておくべきだったかも知れない。もともとあの葉書の文面は、4案くらいを検討し、一番誤解のないもの、と考えて作成している。それでも、戻ってきた葉書の書き方は実に様々だった。委任する相手を、名字だけとか、地域名+名字などで特定してくる人がおられるとは思いもしなかったのが正直なところだ。
 委任をすべて認めて準備をし、会場で、採決用のカードの束を渡したときに、委任を否定されたらどうするのか、など、様々なケースも検討した。実際、複数の方の委任を受けている(筈の)会員が、「欠席」の葉書を送ってきているケースもあった。これはいったいどういうことだろうか、と訝かしんだ。結局、委任している人が、相手の承諾を取っていないケースが多いのではないか、ではこの委任(委任を受けた人が欠席の場合の委任)は、どこに行くのか、どう考えれば、公平さを保ち、かつ委任した人の意志をもっとも生かせるのか、簡単に答えが出ることではなかった。
 総会での議事については、総会の場で専任された議長に任される。事情を知っている人が議長をする方が進行はうまくいく。しかしそれでは中立性は担保できない。従って、理事から議長を出すことはできない。議長は理事会に参加していないから、前後のいきさつは分かっていない。その中で、あの総会の議長をすることは、本当に大変だったと思う。議長を引き受けてくださった村上さんには深く感謝したい。本当にありがたかった。壇上の理事は右往左往していたように見えただろうか。見えたかも知れない。「こうすればよい」と思っても、議長の権限に容喙することは避けたい、そういう思いがあった。強いて言えば、長たるものが、リーダーシップを発揮して欲しいと一番感じる場面だった。理事長や事務局長が曖昧なことを言っては、まとまるはずがない。
 こうした総会運営について、事務所のメンバーで検討して案を作る際、よりどころにしたのは、結局「原則に従う」というものだった。80%以上の賛同が得られるなら、どういうやり方をしてもあまり大きな問題にはならない。前例主義でもいいだろう。しかし、僅差の争いになる可能性があるとき、あるいは複数の意見が拮抗しているようなケースでは、結局原則に立ち返るのが一番良い、ということだった。原則とは、まず第1に自分たちの会の定款だ。定款に定めのないものについては、社会の一般則。民法などの法律に規定のあるものは、それらの規定。そこに沿って整理をした。例えば委任状の記載。委任する相手の特定の仕方までは定款には書いていない。そこで、一般則に従う。人の特定は氏名(フルネーム)が基本、その上で年齢など補助的な情報を合わせて本人確認をしている。そこで、二つの情報を合わせて個人が特定可能な場合には、認めることにした。細かいことを言えば、全要研には同姓同名(同一漢字)という会員がおられる。従って、フルネームでも足りない場合はあるのだが、葉書に「氏名」としか書かなかった以上、住所や会員番号まで要求することはできないと判断した。
 そうした一つ一つの判断と想定とを組み立てて総会に臨んだ。委任の扱いについては三役会で相談し、おおむね判断が固まったところで理事会に報告し、最後は集会初日、午前中の理事会で確認がなされた。一部三役案とは異なる判断も、理事会の場でなされた(委任者が特定できなかった場合の委任は、無効とすると整理したが、理事会では議長委任とする、とされた)。こういうことはよくある。理事会前の整理は、各担当者が行なうとしても、それをそのまま追認するのが理事会ではないからだ。理事が一人一人、その見識を生かして議論し判断することで健全な会運営がなされるはずだ。
 会員約1500,そういう会が、一つにまとまって、年間の運営をしていくことは、そんなにたやすいことではないだろう。しかし避けては通れない課題だ。一般論として、全員を満足させることはほぼ無理だろうと思うが、公正さを保つ努力は怠ることができない。足りないところもあったとは思うが、現在の規定(定款)や体制(専従者の有無など)の中で、事前に準備できるところは準備してきた、ということはできる。事前の膨大な準備作業を、総会参加者が感じてくださるということは難しいのだろうか。何を考え、何を準備してきたか、ということを伝える努力もまた必要なのだろう。
  

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2008年06月19日

私家版・ユダヤ文化論(内田樹)文春新書519

 内田樹という書き手を本格的に意識したのは、「寝ながら学べる構造主義」という同じ文春新書の一冊でだった。この「寝ながら・・」は何年か前の私の「今年のこの一冊」になった。小気味よく切れ味の鋭い指摘、日常的な風景から軽くジャンプして哲学的な命題の内部を照らす問題設定など、この人の書くものはだいたい標準以上だ。しかしその一方で、内田樹の書くものに対して、なんというか、本人の本気度というようなところで、今ひとつ信じられないような気持ちがもやもやとあった。対象との間に書き手が作る距離が、普通の人よりかなり広いのだ。「ほら、こんなにきれいに対象を料理しましたよ」と言われているのではないか、という疑いがあったと言えば良いのかも知れない。
 「私家版・ユダヤ文化論」を読んで、ようやく、その疑いは霧散した。これは新書だが、書き手の渾身の思いが伝わってくる。料理の手際よさを誇るだけならば、こんな危険な問いをわざわざ立てる筈がない。書き手は、この本の中で、自分たちが語る言葉を持たないものについて指し示そうとあがく。言葉によって語ることができないものについては語ることができない。そのことを前提とした上で、しかしそこには避けて通れないものがある、と信じている。それが、この本を、動かしている。
 この本を読みながら、我が家の愛犬(ジャミー)のお腹に数ヶ月前からできている腫瘍のようなしこりのことを思い出した。それは、触ればハッキリと分かる。しかしどんなに触っても、ジャミーは何の表情も示さない。そんなジャミーをみていると、「痛み」という感覚さえも、言葉があって初めて知覚されるのではないかと思えてくる。内蔵の痛みを人間は言葉によって知覚し説明し、医者の診察を受け、手術を受けたりするが、犬にとって内臓の痛みは、知覚する意味のないものではないか。喩えそれが命に関わるものであるとしても、ジャミーにとっては、「痛み」として知覚する意味もなければ、言語(鳴き声?)によって表現する必要もないものではないか。もしジャミーがいま言葉を覚えたとしても、腫瘍がもたらす内部の感覚をどのように言語化したら良いかは、全く分からないだろう。
 内田は、ユダヤ問題とはそのような対象だと言っている。それは確かにある、しかしジャミーの内部のしこりのように、それを宿しているものにとっては、説明することのできない何かだという言う。そう言いながら、自分の全能力、論理力の全て、経験のあらゆる側面を挙げて、その問題を問い詰めていく。
 その姿は、まことに、知の冒険と呼ぶことがふさわしい。
  

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2008年06月17日

全要研集会から帰って

 全要研集会が終わった。というより、私にとっては全要研総会が終わったという気分が強い。総会の準備など、相当に大変だった。もちろん実務については、私より、全要研名古屋事務所のメンバーが何倍も大変な仕事を引き受けてくださったが、総会での委任の考え方など、総会までに整理することはたくさんあった。ただ、ここは、個人のブログであって、全要研理事会のブログではないし、理事として公式の見解を示す場でもないので、理事会が何を考えてきたとか、今後どう考えるか、といった点については触れない。総会に出席した一全要研会員としての感想として読んでいただきたい。以下の文章がなんとなく他人行儀に聞こえるとしたら、それは上記の理由によっている。
 まず「委任」についてだが、総会は冒頭から、この「委任」の扱いを巡って議論になった。今回、全要研総会については、出欠の葉書を送られてきたが、議長委任と個人委任が可能であることが明確に分かるような葉書になっていた。そして「個人委任の場合には、委任を受ける方の承諾を必ず得てください」、とする案内が、事務局長名でなされていた。そこで、委任を受けた方が、誰からの委任を受けているか承諾しているかどうか、事前に確認し、誰からの委任を受けているか分かっている方の数を委任数として認めるという処理を行なった、という説明が総会でなされた。この処理に対して、委任は委任する人が「委任した」と言うだけで成立するのだから、誰からの委任か分からなくても認めるべきだ、とか、たとえ両者の合意が必要でも今まで確認したことはなかったではないか、なぜ急に扱いを変えるのか、という批判が数人の方から出されたていた。
 今回の扱いについての当否については、個人的には、間違っていないと思っている。ただ、「委任」という行為については、上記のような誤解が一定存在するようなので、少し説明しておきたい。
 「委任」という言葉を辞書で引くと、一般的な意味の他に、法律用語として、「当事者の一方が、一定の法律行為の事務処理を委託し、受任者がこれを受諾することによって成立する契約」と定義されている(大辞林)。もちろん、全要研総会の議決権等は、「法律行為」ではないから、この定義をそのまま当てはめる必要はないが、法律行為以外の事務についての委任は、「準委任」と呼ばれ、これについては、「委任」の規定が準用される、とある(同じく「大辞林」)。したがって、 何らかの手続きを他人に委任する行為は、基本的に、受任者がこれを受諾することで成立するとみて良い。誰かが一方的に委任して成立、ということは「委任」については考えられない。ではどうしてこういう誤解が流布しているのだろうか。それは、おそらく「委任状」というものが、委任者の署名・捺印を必要としているのに、委任を受ける人の署名・捺印などを必要としていない、ということによっているのではないかと思う。
 委任状を書いているケースでは、委任を受けた人は、この委任状を持って、手続きの現場に現われる。株主総会でもそうだし、代議員会などでもおそらく、委任状をもってその場に臨むのだろう。委任状を持って、手続きの場所に現われる人が、委任状を書いた人からの委任を受諾していない、ということはあり得ない。また誰の委任を受けているかも、すぐに分かる。従って、委任状を持っていれば、委任契約成立として委任を受けた人の行為が受け入れられているということだと思う。
 今回の全要研総会の委任について言えば、委任状の代わりとなる葉書を、委任を受けた人がとりまとめて提出する、というシステムになっていれば、異論は出なかったろうと思う。個人委任をする会員は、出欠の返事を兼ねた委任状を被委任者に渡し、委任を受けた人がまとめて封筒に入れて送る、というシステムになっていれば、受諾しておられることははっきりする。私が属している弁理士会では、現在の全要研と同じように、会員一人一人が、総会の出欠と委任について記載した葉書を事務局に返送するシステムだが、個人委任の場合は、委任を受けた人の捺印が必要になっている(捺印がないものは委任無効)。これも一つの方法だろう。このあたりは今後明確になると良いと感じた。
 それにしても、こうしたルールの説明を議長がしたことに対して「暴力団対策まがいの総会運営」という発言があったのには驚いた。全要研総会は、もともとかなり民主的な運営を目指して開催されてきたと私は思っていたからだ。委任状の葉書に意見や質問の記載欄あることはもとより、議案書の送付についても、意見や質問を提出できるように、専用の用紙が同封されている。そして理事が中心になって回答を作成し、総会時に会員に配布されている。総会では、修正動議の取り扱いなどについて案内されているし、いつでも修正動議を受け付けているという対応がみられると思う。今回も相当時間をオーバーしてでも(地元の実行委員会にずいぶん迷惑をかけたのではないか)、議論すべきことは議論するという姿勢で運営されてきたと思っている。ここまでしている会は、どちらかというと珍しいのではないか。
 それが取りようによっては、「暴力団対策まがいの総会運営」ということになるのだから、受け止め方は様々だなーと思った。

 今回の総会を見ていて、最大の反省点は、情報保障用以外にもう一つ、何らかの情報提示の準備をしていなかったことだ。修正動議の扱いなどの一般的なルールは、紙に印刷して配布されていたが、その場で出された提案の内容をホワイトボードに書き出すといったことがされていなかった。そのために、同じような話が何度も口頭で出されたし、なかなか理解が浸透しなかったように見受けられた。修正動議についても、その場でホワイトボードに書き出すかOHPで静止画面として投影していれば、もっと会場にいた方々の理解は容易になったと思う。これも来年以降に向けての課題としていくべきことだと思った。
 民主主義は手間がかかる、といわれる。まさにそんな総会だった。
  

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2008年04月10日

田丸さんのコメントに答えて

 田丸さんから、長いコメントを頂いたので、本文でお答えしようと思う。忙しさは相変わらずで、この回答も新幹線の中で作っている。推敲不足の点はご容赦願いたい。



 さて、田丸さんのコメントは多岐に亘るが、まず奉仕員と要約筆記者について考えてみよう。議論する場合、
(1)あるべき姿(理想)
(2)現状の中でベストまたはベターな解
 というものを区別しておきたい。この二つは、多くの場合一致しない。前者の立場は、後者の立場から、「現実を見ろ」という形で批判されることが多い。しかし、あるべき姿とか理想の形を押さえていない運動というものは、しばしば道を間違えると私は思う。理想を高く持つ活動だけが、理想に近づけるし、現実の中でも道を間違えない、と思っている。ただし、理想ばかりを追うと、なかなか現実の解決ができないということも事実だ。目の前で困っている人がいれば、何ができるかを考えることも必要だ。以前、サークルでの要約筆記者の派遣をやめた、ということをこのブログにも書いた。目の前に、情報保障がなくて困っている人がいるとき、「通訳者でなければ派遣には出せませんから」とサークルでの派遣を断わる、その結果、困っている人が情報保障を受けることができないままになる、ということは、確かに正しい対応ではない。登録要約筆記者の会ができ、そこが公的な派遣に乗らない派遣に対応するという仕組みができて初めて、サークル派遣はしないという原則が、正しい対応になるということは確かだ。しかし、だからといって、いつまでもサークル派遣をすることが正しい訳ではない。
 あるべき姿と現状の中での望ましい解とを、きちんと意識して対応を考えたいと思う。
 その観点からみれば、田丸さんが言っておられる「要約筆記奉仕員を認定制度に包み込む」というのは、現状でのベターな解にはなり得るだろうと思う。しかしそれはあくまで「現状でのベターな解」であって、あるべき姿ではないだろうと私は思う。それはなぜか。前にも書いたように、「奉仕員」というのは、身につけた技術でそれなりのサービスをする人だからだ。もし奉仕員に認定を課すのであれば、それはもはや奉仕員ではない。奉仕員は、本人のやる気、本人の意欲や心の持ち方を優先するのだと思う。そういう人がたくさん必要であることははっきりしている。「要約筆記者制度の確立を」というと、「要約筆記奉仕員」が不要だといっているように聞こえるらしいのだが、それは違う。要約筆記者制度が確立したとしても、要約筆記奉仕員の重要性はいささかも揺るがない。問題は、通訳行為をどうみるか、ということなのだ。他人のコミュニケーションを媒介する要約筆記者には、それなりの知識や技術、そして対人支援についての基本的能力が必要になる。
 田丸さんがあげておられた日本語をとても愛し、すばらしい知識を持っておられる方を例にとれば、その方が、他人のコミュニケーションを媒介するという行為がきちんとできないのであれば、「要約筆記者」として通訳の現場に出ることは間違っている。しかし、その方が、要約筆記者に日本語の基礎を教えることはもちろん差し支えない。要約筆記サークルで、サークル活動をすることも何ら差し支えない。映画の字幕を作ることもあるかも知れない。しかし、他人のコミュニケーションを媒介するという場面に、公的に派遣されることは間違っている、ただそれだけのことなのだ。要約筆記者の派遣を受ける人は、要約筆記者の支援を受けて、何かをしようとしている、その行為を支援できないのであれば、公的な派遣に出てはいけない。どんなに中途失聴者難聴者に対する理解や思いやりの心があったとしても、コミュニケーション支援を必要としている人には、それだけでは役に立たないのだ。コミュニケーション支援を必要としてる人には、コミュニケーション支援を提供する、それが公的な要約筆記者派遣の制度、ということなのだ。
 しかし、現状では、「要約筆記者」として公的に認定された人はほとんどいない。現状、存在するのは「要約筆記奉仕員」だけだ。従って、この要約筆記奉仕員から、何らかの方法で「要約筆記者」を認定し、自立支援法の下での要約筆記者派遣制度に乗せる、ということは、現状でのベターな解だろう。しかし、公的な派遣に出す以上、どんなに難聴者に対する思いやりの心があっても、他人のコミュニケーションを支援できない人は派遣してはいけない。それは最低限守らなければならない。なぜなら、要約筆記者の派遣を受ける人は、コミュニケーション支援を必要としているからだ。
 田丸さんが言っておられる「要約筆記奉仕員を認定制度に包み込んでしまう」というのが、上記の意味、要約筆記奉仕員から認定を経て、当面、要約筆記者として認定し派遣制度に乗せる、という意味であれば、それは現状でのベターな解だ。ただし、認定された人は、「要約筆記者」であって、「要約筆記奉仕員」ではない。その一方で、本来の要約筆記者の養成が進められなければならない。それがあるべき姿だと私は思う。既にカリキュラムはある。テキストもある。テキストを使って教えるための指導者養成講習会も開かれている。そのカリキュラムに沿って実施を試みている地域もある。にも関わらず、全要研と全難聴がまとまって、この「要約筆記者」養成と派遣を実現しようとしていないから、要約筆記奉仕員から、取り敢えず可能な人を「要約筆記者」として認定するというベターな解もまともに実施できないでいる。

 では、認定により「要約筆記者」とならなかった要約筆記奉仕員はもはや不要なのだろうか。私はそうは思っていない。奉仕員には奉仕員にしかできないことがある。この話をするとき、私はいつも、「親切」と「ボランティア」の違いを使って説明する。「親切」というのは、人として必要なことだ。困っている人がいれば、自分にできる範囲で助けようとする人間の心はすばらしいものだ。それは動物にはほとんど見られない人間だけが持ちうる優れたものだと思う。しかし、親切だけでは、迷惑になることがある。私自身の、もう30年くらい前の経験だが、ある時、道を歩いていたら、老人が重そうな車を押して坂を登っていた。私は思わず「運びますよ」といって、その車を持って坂の上まで押し上げてあげた。それは私の「親切」だった。しかし、その後で、一緒にいた年配の方から、「下出君、あれは老人が杖の代わりにしている老人車だから、坂の上まで押し上げてあげても、あのお年寄りはつかまるものがなくて、困ったかも知れないよ」と言われた。無知とは恐ろしいものだ。私はそれまで、お年寄りがつかまって歩く老人車というものの存在を知らなかったのだ。私のした親切は、そのお年寄りにとって、余計なお世話だった可能性は高い。いや、大迷惑だったに違いない。
 親切は、知識がなければ、余計なお世話になる可能性を常に持っている。その知識を補うのが「奉仕員」としての講座だ。聴覚障害者に対する支援の気持ちを正しい親切として実現するために、最低限知らなければならないことを、私達は奉仕員の養成講座で学ぶことができる。学んだものをどこまで身につけて生かせるかは、個人個人によるのだが、それでも、正しく学べば、少なくとも余計なお世話や、間違った支援をすることは減るだろう。そうして養成された要約筆記奉仕員は、中途失聴者難聴者を、その生活の広汎な領域で支援することができる。理解することが、最初の支援だと言えるかも知れない。広汎な支援には、まだ公的に実施されていない様々な支援が含まれる。たとえば、映画の字幕制作やプラネタリウムの字幕付き上映、あるいは教育現場での支援、傾聴ボランティアというのもあるかも知れない。あるいは、中途失聴者難聴者運動を直接的に支援することも含まれるだろう。そうした様々な支援活動の中から、専門的な領域が取り出されれば、それは公的な制度に移されていく。すでに20年以上の歴史を持つ要約筆記奉仕員の活動の中から、他人のコミュニケーションを媒介する通訳行為が、専門性を持った領域として取り出され、「要約筆記者」として制度化されようとしている。それは、要約筆記奉仕員の豊かで長い歴史を持つ活動が生み出したものだ。「要約筆記者」の公的な派遣制度が始まっても、「要約筆記者」を生み出した「要約筆記奉仕員」が不要になるはずがないことは、ここからも理解される。豊かな奉仕員の活動があり、その海の中から、また別の専門性をもった領域が取り出されてくるはずだ。
 現状でのベターな解として、現在の要約筆記奉仕員に対して何らかの認定試験を行ない、要約筆記者として認定する、というのは、全難聴が2005年の要約筆記事業で試みたことだ(報告書「要約筆記者認定への提言」参照)。そのことと、あるべき姿としての要約筆記者の養成の確立とは、どちらか一つだけということではない。当面、要約筆記奉仕員の中から、難聴者のコミュニケーション支援をできる人を認定して要約筆記者として公的な派遣制度にのせ、その一方で、要約筆記者の養成カリキュラムの公的な確認、自治体への通達などを実現していかなければならない。
 それでは、田丸さんのもう一つのコメントから窺われる問題、108時間の要約筆記者養成が、地域で可能なのかどうか、という点はどうだろうか。この点は、また次回。
  

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2008年04月04日

要約筆記という支援−その2

 一つあたりの投稿が長くなってしまうので、二つに分けた。しかし、通して読んでいただきたい(ならば、分ける意味はないか)。




 さて、全要研ニュース4月号の巻頭言に戻るのだが、不平等な関係がそこには存在する、という点の認識については、小西さんと私にはあまり大きな差はないかもしれない。しかし、私は、だからこそ、奉仕員制度では追いつかない、と考えている点で、おそらく立場を異にしている。両者の間に難しい関係があるのだ、と気づく、それはいい。そのことを私達は忘れずに活動したい、というのも良い。しかし、では、それはどのように担保されているのか、という点で考え方が違うのではないか。
 聴覚障害者がおかれてきた環境、生育歴、聞こえの程度の個人差、そういったものをきちんと理解して支援する、というために、現在の奉仕員制度では追いつかない。たとえば、現在の要約筆記奉仕員養成カリキュラムで、小西さんが問題提起しているような関係性をきちんと教えているだろうか。あるいはそこに小西さんが気づいた課題が横たわっていることが、テキストで指摘されているだろうか。現在の奉仕員カリキュラム・テキストでは、そこまで踏み込んではいない。「対人支援」という言葉も、そこにはない。
 ボランティア活動を誠実に長く続ければ、そして障害者との間に平等の関係を作ろうと努めれば、両者の間に、社会が、歴史が、要するに私達がこれまで築いてきた不平等な関係が見えてくる。そのことに気づかずに活動すれば、危うい、ということも分かってくる。では、どのように考え、判断し、行動すれば良いのか、そのことを学ぼうとしても学ぶ場がない、個人的経験の蓄積によって学ぶしかない、というのが、現在の要約筆記奉仕員ではないか。それでは、小西さんが考える危うさは、いつまでたっても構造的に放置されたままになる。
 全難聴が提案した「要約筆記者養成カリキュラム」が万能の妙薬だとは思わない。そこには不足しているものも確かに存在する。しかし、よりましなものであることは明確だと私は考えている。少なくとも日本という国における社会福祉制度のあり方、長い歴史をかけて作られてきた障害者福祉の考え方の変遷と現在のあり方、障害者支援における支援者と支援を受ける人の関係、そういった事項に対して、学ぼうとし、学ぶに耐えるだけのものを用意した、という意味で、奉仕員制度では対応できなかったものに対応しようとしている。
 なぜこの成果を、早く社会に還元しないのか。還元するように働きかけることをしないのか。全要研の中にいて、全要研の理事をしているのだから、それは私自身の力不足ということなのだが、歯がゆい思いは募るばかりだ。ボランティア精神は尊い。それはおそらくすべての始まりだろうと思う。他人のために自発的に何かを始めること、その精神なしに、福祉というものは実体を持たないだろう。そんなことは分かっている。だが、ボランティア精神だけでは不足することも確かなのだ。ボランティア精神にあふれた人の一言が、人を励ますことがあるが、しかし確かに人を傷つけることもあるのだ。それはボランティアの責任としては半分ではないか。ボランティア精神にあふれた人に正しい知識と正しい対応方法を学ぶ場を用意した上でなら、あとはボランティア自身の責任かもしれない。しかし、そういうシステムを作っていないなら、残り半分の責任は、そのシステムを作らないでいる側にあるはずだ。
 これまで確かに存在した不平等な関係に気づいたなら、それを個人が気をつけること、にとどめないで、それを解消する仕組みの構築に向かわなければならない。全要研は、それができる組織であるはずだ。この2年間、要約筆記者制度の創設を推し進められなかった理事・理事長の責任は重い。
  

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2008年04月04日

要約筆記という支援

 全要研ニュース4月号が届いた。その巻頭言に小西理事長が、要約筆記者と中途失聴・難聴者との関係について書いておられる。書いていることの前半、要するに支援をするものと支援を受ける者との関係については、同意できることが多い。両者の間の平等ということの意味、議論になったとき、最後に難聴者が黙ってしまうことの意味に気づいておられるのは、さすが長い経験をもっておられるからだろう。支援する者と支援される者との間の平等の関係は、障害者福祉に関わる者が、いつかは必ず自問する問いなのだと思う。そこには様々な側面があるが、両者の心理的な立場の問題はさておき、情報格差ということについて考えてみたい。
 要約筆記者は聞こえる。聞こえるために、聞こえない人よりたくさんの情報を持っていることが多い。議論になったとき、情報をたくさん持っている方が、一般には有利だ。より正しい結論にたどり着けることも多い。「どうしてそう言えるの?」と尋ねられて、「実は○○だと聞いたよ」と言われれば、その「○○だ」とう情報から隔てられていた者は黙る他はない。聞こえる者と聞こえない者が議論するときに、この情報格差を解消してから話をしないと、本当の意味での平等な議論はできない。それは障害者同士でも問題になる。聞こえの程度にかなりの差がある難聴者が議論しているとき、障害者同士だから平等な立場で議論になっているとは言えない姿を何度か見てきた。より聞こえる側が、より聞こえない側よりたくさんの情報を持ち、聞こえない側を論破していく。
 もちろん聞こえる者同士の議論でもそれは起きる。より多くの情報をつかんでいる者が、有利な立場で議論するということはある。しかし、聞こえない故の情報の少なさを補うための努力を、どこまで聴覚障害者本人に求めることができるのだろうか。いや、聞こえないために情報が少ない、という事態を前にして、私達にできることはなんだろうか。「きちんと情報を保障する」、まずここから始める他はない。議論の場で、より聞こえない人に、より聞こえる人と格差のない情報を伝達することの意味は、平等な環境を作る、という点で限りなく重要だと言える。ではその場の情報が保障されれば、それで問題は大部分解消するだろうか。
 たとえば、完全な情報保障が仮に実現したとして、それで両者は平等になるだろうか。実はそんなに簡単ではない。その情報保障がなされている場にたどり着くまでに、長い間、情報保障のないまま生活してきたのだ。小学校で、中学校で、さらには高等教育の場で、情報保障はあっただろうか。大部分の聴覚障害者、特に難聴者にとって、答えは「ノー」だろう。テレビの字幕はついていたか。科学館の展示に字幕はあったか。そういう環境で育ってきたとしたら、相当の本人の努力があったとしても、情報の格差を埋めきれるかどうか。
 私達要約筆記者は「その場の聞こえを保障する仕事」をする、とされている。その場の通訳ができれば、書き取ったノートテイク用紙は利用者に渡す必要はないとされる。そのこと自体は間違っていない。そうなることを私達は目指している。だが、長い間聞こえない状況におかれてきた人たちにとって、その場の情報保障が、今現在なされている、というだけでは、本当の意味で平等だとは言えない、と私は考える。長い間の情報格差による不平等の蓄積を解消するためであれば、ノートテイクの用紙を渡すことだって意味がある、と考える。最初から記録として使うことを目的として要約筆記を使うのは論外だが、一人の難聴者の人生の側に立てば、書き取られたノートテイクの用紙を渡すことが、本当の意味の支援であり、平等を実現することになる、という場面がある、と考えている。
 支援する側と支援される側、より聞こえる側とより聞こえない側、そうした不平等な関係が、構造的に組み込まれている場合、適切な対応を導くことは、原則論だけでは簡単にはいかない。(この稿続く)
  

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2008年02月23日

要約筆記の限界

 長い間ブログを更新できなかった。とにかくやたら忙しかった。毎年のことではあるけれど、年末から年度末まで、私が属している業界はなかなか忙しい。部下の退職、その後始末という仕事もあった。一段落ついたので、気を取り直して、またこのブログを書いていきたい。私の場合、どうしても一つのテーマで書くことが長くなってしまう。あまり長くならないようにして、書き継ぐようにできれば、とも思うのだが、なかなか、これが。
 さて、名古屋の要約筆記者が、要約筆記の取り組み方を変えてから丸2年が過ぎた。この2年間、私たちは、自分たちの取り組みに対して確かな手応えを感じてきた。自分たちが変えた要約筆記の取り組みは、目標を明確にして取り組むことだった。それは、「できないと諦めて、手近な目標に切り替える」ことではなかった。目標は、明確になった分だけ、高くなったとも言えるかも知れない。
 要約筆記をやっていて、中途失聴者難聴者から、「聞こえなくても一緒に笑いたい」といわれてきた。その言葉に対して、「今はできないけど、少しでも近づけるようにがんばる」というだけですむなら、なんと安易な対応だろう。がんばるボランティア。それは見た目は美しい話かもしれない。その一方で、その場の情報から取り残され、当たり前の権利を保障されずにいる人がいる。自らの主体性を奪われて、口惜しい思いをしている人がいる。「がんばるボランティア」にとっても、それは放置しても良いことであるはずがない。
 「その場の情報を保障する」−−文字にすればたった11文字のこのことを、きちんと実現しようとすれば、どれだけの修練と経験とチームプレーと環境整備とが必要になるだろう。目標を明確にしてその実現に向けて取り組んだとき、初めてそれが分かった。要約筆記を使う人が読み疲れない表記、すぐに利用できる表記、話し言葉の伝達効率を高める要約、その場ですぐ利用できる形で情報を手渡すこと、聴覚障害者と要約筆記の利用場面との関係に応じた支援の方法、情報伝達の環境の整備、それら一つ一つをカバーしていくことは簡単ではない。それらができて初めて、「その場の情報を保障する」というたった11文字の作業が現実的なものになる、聴覚障害者の人権を保障する最初の一歩になる。
 確かに、保障すべき対象は広く大きい。もちろん、その場にいる聞こえ人と同じように感動したい、笑いたい。その道は、しかし最初の一歩を踏み出す以外にたどることができない道なのだ。
 2年前を振り返ると、私たちは、大きな書き割り(舞台背景として描かれたもの)の前で要約筆記を演じていたような気がする。書き割りには、理想の要約筆記らしきものが描かれていた。そこには、話し言葉のすべてを伝えたい、という要約筆記者の願いも描かれてはいたが、書き割りに過ぎないから、その頂(いただき)に至る実際の道はなかった。もちろん目標としては正しい。正しいが役に立たない。書き割りとしては美しいから、観客は手を叩くが、現実の頂まで歩いていこうとする者には何の役にも立たない。
 名古屋の要約筆記者は、その書き割りを捨てる、という決断をしたのだと思う。書き割りを捨てて、私達は実際に歩いていける丘の頂をまず目標とした、そして歩き始めた。すると、丘の頂でさえ、そこまで歩むことの困難さは、書き割りの前の、要するに平坦な舞台の上とは全く違うことが分かった。一つの丘まで登れば、次の、より高い頂が見えてきた。道はあるのかないのかもよく分からないが、歩くほかはない。私達は書き割りを捨てたのだから。
 書き割りに描かれた高い頂、見事な稜線、それは美しいかもしれない。比べれば、現実の丘は貧相だし、たいした高さには見えないかもしれない。しかし、登ることのできない書き割りの山頂より、自分たちで、登録要約筆記者の会という志を同じくする仲間たちと登る丘の方が、重要ではないか。切実なものではないか。遙かな高みに登るふりをして過ごすより、本当の丘に登ろう。登ればまた次の目標が見えてくる。遠くまで行こう。行けばまた、次の道程が見えてくる。
  

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2007年12月07日

情報量の格差と聞こえの保障

 以前にこのブログで2度、聞こえの世界を二次元の図にして示したことがある。あえて三掲すると、
 横軸:前もって準備できるものか、その場で対応するしかないものか
 縦軸:話の内容が重要か、どんな風には話されたかといった表現が重要か
        内容が重要
  ☆       ↑    ★ 会議
事         |    講演
前 ◆映画  プラネタリウム
に←————————┼——————→その場で発言
準     芝居  |
備         | 
       落語 ↓
        表現が重要
   (等幅フォントで表示してください)
となる。これは「聞こえの保障」の世界を一つの考え方で整理したものであって、整理の仕方はもっといろいろあるだろうと思う。最近、気づいた整理として、この縦軸を「情報量の格差」とする見方がある。つまりこうだ。
 横軸:前もって準備できるものか、その場で対応するしかないものか
 縦軸:コミュニケーションしている両者の間の情報量の格差
        格差がない
          ↑     会議
事         | 
前         |   講演
に←————————┼——————→その場で発言
準     プラネタリウム
備         | 
          ↓ 教育 医療
        格差が大きい
   (等幅フォントで表示してください)

 会議などでは、互いの情報の格差は小さい。情報量に差があっても、それは構造的なものではなく、個人差に過ぎないことが多いだろうと思う。こうした場合には、通訳としての要約筆記は十分機能するだろう。
 講演では、講師の持っている情報量は、講演のテーマに関しては、聴衆の持つ情報量よりかなり多いだろう。だからこそ、講演を聴きに来ているとも言える。こうした話し手と聞き手の間に情報量の格差がある場合、通訳を介した情報の伝達は、おそらく会議の場と異なる様相をもつと考えられる。
 一例を挙げよう。情報量の多さは、時に、講演の内容に関連した原典からの引用といった形で現われることがある。例えば、松尾芭蕉についての講演会で芭蕉の俳句を引用する、山田洋次監督の映画について講演会で「寅さん」の台詞を引用する、ということはあり得る。原文のまま味わうことを、講演者が聴衆に求めるなら、その言葉については、レジュメに掲載する、板書するといった配慮をすることが求められる。これは聴覚障害者だけの話ではなく、一般の聴衆に対する場合にも言える話だ。情報を大量に持っている側が、少ない側に何らかの配慮をしないと、十分に情報は伝わらないからだ。それでも講演者が、耳からの情報だけに頼って、原文を引用して講演をすることがあり得る。そうした場合、引用される言葉をそのまま要約筆記で再現することは難しい。したがって、話し手と要約筆記通訳者との連携、事前の打ち合わせなどが、より重要になる。
 更に、教育の現場や、医療の現場では、よりこの傾向は強まる。先生と生徒、医者と患者では、情報量の格差はとてつもなく大きい。こういう場合、単に要約筆記を付けるだけでは、教育保障にならない。先生の教えのスタイルは同じで、要約筆記通訳を利用すれば良い、ということにはならないのだ。情報量の格差が大きい場合には、単に通訳を挟むのではなく、その場所全体の聞こえの保障をデザインすることが必要になるのではないか。

 対等な二者の間の情報の交換はコミュニケーションと呼ぶことができるが、彼我の立場や保有する情報量に圧倒的な差がある場合は、コミュニケーションではなく、「教育」であり、「医療」であり、あるいは「司法」(取り調べ、裁判)だということだ。したがって、単に通訳者を配置するだけでは、こうした場面では、足りないのだ。私たちのプラネタリウムでの経験でも、ある程度きちんと情報を伝えられていると感じることができるようになったのは、話し手である学芸員の方の協力的な姿勢がはっきり感じられるようになったあたりからだった。
自立支援法は、コミュニケーション支援を謳うが、ここでは、コミュニケーション支援だけではなく、もう少し大きなとらえ方、その場全体を見て聞こえない人にどのように情報を手渡していくかを考えなければならない、ということになるだろう。
  

Posted by TAKA at 02:45Comments(0)TrackBack(0)要約筆記

2007年11月26日

佐藤克文「ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ」光文社新書

 「ハイテク海洋動物学への招待」という副題を持つこの本の内容は、とても楽しい。一つは内容が分かりやすいのに非常に興味深い知見に満ちているおり、もう一つは新しい学問の創世記にだけ生まれる興奮に満ちているからだ。ペンギンやアザラシ、ウミガメなどの海洋生物の生態、特に水中にいるときの生態はほとんどわかっていない。何しろ簡単には観察できないのだ。まして極地の近くに生息するペンギンなどは氷の下を遊泳しているから、観察は難しい。生体に電波の発信機を付けても、水中では、電波は基本的に使えない。
 そこで、考え出されたのが、ペンギンなどにデータロガーという記録装置を付けて、これを回収するという方法だ。しかしこの方法は、データロガーを付けた個体が、元の場所に戻ってくるという習性を持っていないと使えない。ウミガメは産卵のために2週間ほどで同じ砂浜に帰ってくる、そこでこの間にデータロガーを付けて回収する。ペンギンは、子育ての間中、つがいの他方が餌取りに出かけ、やがて営巣地に戻ってくる、そこで餌取りに出かけるペンギンにデータロガーを付けて回収する。
 そうやって集めたデータから、水中でのこれらの動物の振る舞いを読み取り、水中生物の基礎的な情報を集め、その振る舞いを記述していく。なぜ母親アザラシは、餌取りに関係のない水面近くの遊泳を繰り返すのか、ペンギンは浮上するとき、なぜ胸びれを動かさないのか、そうした問いは、動物の行動については、きわめて基本的なものらしい。そうな基本的なこともまだわかっていないという。そしてそうした基本的な事項を一つ一つ解いていく、そこには、まだ誰も知らない事実や行動を発見していく喜びが満ちている。
 一つの学問が立ち上がろうとしている現場の近くまで、この本は読者を連れて行く。ペンギンが水中に潜る氷の開口部のように、未知の世界へのわずかな覗き窓がそこにある。思わず、首を伸ばしてその窓から、氷下の世界、深度300メートルの世界を覗き込みたくなる。
  

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2007年11月26日

要約筆記を使って実現すること

 以前に、中失難聴者が、すべての音声を回復したいと願うのは当然の要望だと書いた。音声認識の技術や人工内耳の更なる改良などが、そうした要望に応える日がいずれ来るだろう。とはいえ、それは今日ではないし、明日でもない。

 要約筆記に関わっている中で、時に感じるのは、以前にもこのブログに書いたのだが、音声情報のすべてを回復したいという中失難聴者の要望の強さだ。先日も、ガイドツアーの時に要約筆記者が「鳥の声が聞こえる」「鴬が鳴いている」と書いてくれてとてもうれしかった、是非書いて欲しい、という話を聞いた。ガイドツアーの解説を筆記した上で、ということだろうけれど、鳥の声や小川のせせらぎといった音も含めて、音声情報を回復したいという要望は強い。
 音声情報のすべてを回復したいという要望それ自体は、当たり前のことだと思うが、現状では、その要望を受けとめるのが「要約筆記者(要約筆記奉仕員)」だというところに様々な問題の出発点があるような気がする。音声情報のすべてを回復したいという要望を実現するには、音声認識や人工内耳などの更なる改良が必要だろう。そのためには、行政を動かし、研究開発に予算を付ける、という運動がなければならない。かつて全難聴の福祉大会で、音声認識技術のデモが行なわれたことがあった。すべての音声情報の回復を真剣に求めるなら、こうした運動は避けては通れないはずだ。聴覚障害者の「すべての音声情報を回復したい」という要望が、行政や研究者、さらには福祉関連企業に真剣に受けとめられるなら、IT技術の進歩と共に、事態は思っているより早く改善される可能性がある。
 しかし、現実を見回すと、音声情報のすべてを回復したいという要望を一番真剣に受けとめているのは、聴覚障害者本人およびその家族を除けば、要約筆記者ではないだろうか。音声情報のすべてを回復したいという要望を受けとめた要約筆記者は、どうするだろうか。まず文字数を増やしたいと考えるだろう。手書き文字の場合、整った字で書ける限界は、個人差はあるものの60から70字/分だと思う。それを超えた文字数を求めれば、いきおい、文字は乱れ、書き殴りに近づく。それでもとうてい話しことばそれ自体をそっくり書き起こした場合の文字数には及ばない。話し手の言葉をできるだけそのまま書こうとすれば、一部は書けても、残りの大部分は書き落とす、ということの繰り返しになる。全体を書き落とすまいとして体言止めや助詞止めを増やせば、「ぶち切れの筆記で話し手の雰囲気が分からない」と言われる。かといって文末をそのまま書いていたのでは、どんどん遅れてしまう。「講師が冗談を言ったら、私たち聞こえないものも一緒に笑いたい」と言われれば、確かにその通りだと感じるから、冗談も書き取ろうとし、書いている間に本論は進み、後からシートを読み返すと、本論も冗談も区別ができず、まるで論旨の通らない筆記になっていることを知ってがっくりする。
 音声情報のすべてを回復したいという要望それ自体は、間違っている訳ではないし、当然の要求だ。しかし、と私は思う。音声情報それ自体の価値とは何だろうか。いや、音声情報それ自体にも価値はあるのだが、私たちは音声情報を使って何かをしようとする、そういう側面が本当は高いのではないか。講師の講義を聴くとき、講師の声にうっとりしたいのではない。講義の内容を知り、学びたいのだ。人の話を聴き、自分の意見を言い、要はコミュニケーションしたいのだ。社会の情勢や緊急事態について知りたいのだ。確かに情報は、文字によっても伝えられる。新聞や週刊誌、多数の書籍、あるいは文字放送によっても情報は伝えられる。しかし音声情報によって最初に伝えられるという情報も少なくない。映像を得意とするテレビでさえ、音声を消してみれば、内容の過半は理解できない。

 現代は情報化社会だと言われる。「情報化社会」とは、とりもなおさず、情報が価値を生む社会ということだ。情報それ自体が価値なのではない。その情報を使って価値を生み出す社会ということだ。要約筆記は、そのためであれば、機能させることができる。要約筆記を使って講義を聴く、内容を知る、会議に参加する、議論する、そういうことは要約筆記を使って可能だと私には思える。もちろん、参加を支える情報保障を実現することは簡単ではない。簡単ではないが、実現可能な目標だと私には思える。しかし、音声情報のすべてを回復することは、要約筆記の仕事ではない、と思う。音声情報のすべてを回復したいという要望を、要約筆記者は理解することができる。その理解に立って、聴覚障害者の切実な願いを、社会に実現していく運動に共に加わることもできる。その運動のための意志決定や判断を支える情報を提供する仕事、要するに情報保障の仕事を担うことは喜んでする。情報保障の制度をこの社会に根付かせ、使えるものとして維持することは、私たち要約筆記者の切なる願いだ。
 しかし、音声情報のすべてを回復することは、要約筆記者が自らの筆記で実現することではない。音声情報の丸ごとの回復を、要約筆記それ自体の目標にしてはいけない。音声情報のすべてを回復したいという願いを、中失難聴者の身近にあって理解してきた要約筆記者の存在は、中失難聴者の運動にとって、とても大きかったと思う。ただ、その要望を理解することが、要約筆記にできることとできないことの区別を曖昧にした、ということは否めないように思う。
 音声情報のすべてを回復したいという要望と、音声情報を利用して何かをすることの意義とを、切り分けていくという作業が、要約筆記にとって、今、最も求められているのではないだろうか。音声情報のすべてを回復したいという要望を正しく理解し、その要望が存在することは認めつつ、音声情報を使って何かをする、自分たちの福祉の運動を進めようとする、学ぼうとする、働こうとする、社会に進出していこうとする、そういう中失難聴者のために、音声情報を使える形で提供する要約筆記を実現する、と考えたい。端的に言えば、「音声情報それ自体を回復するのに要約筆記を使う」のではなく、「自らがやりたいことに取り組むために要約筆記を使う」ということだ。後者の立場を徹底すれば、要約筆記者が何をすべきかは自ずと見えてくると思う。
  

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2007年11月12日

青木幸子「Zoo Keeper」(講談社)

「ZOO KEEPER」の新刊を読み終わる。地方の中規模の動物園に採用された女性(楠野さん)は、赤外線領域まで見えるというちょっと変わった視力を持っている。熱源を見続けると疲れてしまうので、通常は赤外線カットの眼鏡をかけている。この眼鏡は、楠野さんのこの変わった能力を見抜いた熊田園長が誂えてくれたものだ。この園長が持ち出す難題につきあいながら、飼育員の楠野さんは、動物園の存在意義とか、動物と人間の関係などについて考える。その捉え方のユニークなところがこの漫画のおもしろさになっている。
 例えば3巻では、チーターの全力疾走を展示する、という話が出てくる。チーターの時速は平均で100キロ。それはチーターが、狩りをするために発達させた運動能力だ。しかし動物園にいるチーターは、全力で走る必要がない。餌は与えられるのだから。では、動物園のチーターは、全力で走るべきなのかどうか。楠野さんが考えるのに付き合っているうちに、人と動物の違いと共通点が、見えてくる。
 (写真下は、我が家の愛(駄)犬・ジャミー)


 動物と人間との関わりを描いたコミックは多い。「いぬばか」(桜木雪弥)のように、ペットショップを舞台にしたもの、「ワイルドライフ」(藤崎聖人)のように獣医の活動を描いたもの、など切り口も視点も様々だ。「ワイルドライフ」は、獣医(鉄生)が主人公だけに、扱う動物のレパートリーは広い。まして主人公・鉄生は、どんな患畜でも救いたいと願っているので、ほ乳類はもちろん、鳥類、は虫類も、患畜として登場する。今まで知らなかった様々な動物の生態を知るのは楽しいものだ。
 ところで、この鉄生君については、獣医大に在籍してるとき、教科書を逆さまに読んでいた、というエピソードが語られる。最初そのことに気づいた同級生は「こいつは馬鹿か」と思うのだが、その直後、鉄生が、深い意図を持って教科書を逆さまにして読んでいたことに気づく。彼は、教科書に掲載された顕微鏡視野の写真を様々な方向から見るために教科書を逆さまにしたり横にしたりしていたのだ。鉄生は、言う。「本当の試料は、いつも同じ方向から見るとは限らないだろう? そのことで、患畜の病気の原因を見落としたり間違えたりしたくないからな」と。
 この話は、「ワイルドライフ」のだいぶ後の方(10巻過ぎ・・たぶん)になって出てくるのだが、この台詞にはシビレた。そのせいで既に二十数巻になったこの「ワイルドライフ」という本を読み続けているような気がする。およそ、専門家と呼ばれる者はこうでなくてはいけない。一つの専門を学ぶとき、そこには教科書やお手本があるだろう。しかしそれは用意された教科書でありお手本なのだ。どんな事象であっても、現実はもっと豊かで複雑なものだ。教科書やお手本は、その豊かで複雑な現実を、ある類型に従って整理したものに過ぎない。本当にその専門性をきわめようとするなら、教科書やお手本の向こうに、豊かで複雑な現実があることを理解していなければならない。
 話しことばによって語られた内容を理解し、書きことばによってその内容を伝えるようとする要約筆記者は、豊かで複雑な言葉とその言葉で表わされる豊かで複雑な「話し手の意図」を相手にしているのだ。ならば要約筆記者は、日本語による伝達の専門家でなければならない。専門家を目指す者として、読むべき書籍はいくつもあるだろう。それらの本、例えば全難聴が発行している「要約筆記者養成テキスト」を、時には逆さまにして、あるいは横にして読むくらいの気概を持って学びたいと思う。
 「ワイルドライフ」の新刊を読むたびに、あの鉄生の教科書のエピソードをなつかしく思い出す。
  

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2007年11月11日

加藤徹「漢文の素養」(光文社新書)

 文字を持たなかった古代の日本人が、中国の漢字文化に触れてそれをどう消化してきたのか、消化の過程で日本文化が創られていく、その様を、漢文から読み解こうとした意欲的な本だ。要約筆記者養成講座の中で「日本語の特徴」を教えるために、読みあさった何冊かのうちの一冊だが、出色の一冊だった。
 昔から、日本語の中で、そのまま形容詞になる色表現は「赤い」「青い」「白い」「黒い」しかないことを不思議に思っていた。「色」を付けて形容詞化するのが、二つ「黄色い」と「茶色い」。日本人にとって、「みどり」は国土の木々の色として、親しみ深かったはずなのに、「緑い」という形容詞はない、「緑色い」ともいうことができない。それはなぜか、とても不思議だった。ちなみに「赤青白黒」は、そのまま方角にもなっており、日本人にとって、最も基本的な色だということは明らかだ。
 この「漢文の素養」を読んで、初めてこの4つの色が「明るい」「淡い」「著い」「暗い」という明度を表す言葉から生まれたことを知った。そして古代の日本人はおそらく「色彩」というものを意識しておらず、中国の文化に触れて初めて豊かな色彩感覚を身に付けたのだろうと言うことも。まことに、言葉を世界を切り取る方法そのものであり、世界観そのものなのだと分かる。分かることがぞくぞくするほど楽しい、そういう感覚を、何度か味わせてくれる本だ。
 もう一つ、この本を読んで知ったのは、漢文を、弥生時代まではおそらく漢字を単に呪術的なシンボルとして受け入れ、いわば装飾材として用い、やがて仏教を中心とした文化を輸入するために用いられ社会の制度を作り出す生産財として漢文を使いこなし、最後には、漢詩や漢文学といった消費財としたという視点だ。これはきわめてユニークな視点だ。他の言語を一つの社会が受け入れていく場合の受け入れの程度を、この捉え方で計ることができる。
 このほか、日本が漢字文化圏では、唯一、本家中国に新漢字を輸出して恩返しをした国だとか、とにかく日頃親しんでいる漢字仮名交じり文としての日本語の背後にあるものをいくつもいくつも気づかせてくれる。要約筆記に引きつけて読めば、おもしろさ倍増であることは保証するが、たとえ要約筆記とは無関係であっても、こんな面白い本はない。
  

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2007年11月09日

要約筆記サークルと「派遣」

 忙しくて、ブログの更新ができない。せめて週1回くらいは更新したいのだが。週末か、出張の列車の中でしか書く時間がない。今日は、研修のために東京を往復。以下は、新幹線の中で書いてきたもの。推敲が足りないところはご容赦願いたい。
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 以前このブログで、要約筆記サークルと登録要約筆記者の会との関係を巡って、名古屋では、サークルは要約筆記の派遣を引き受けないという整理をした、という話を書いた。これに対して直接という訳ではないが、要約筆記サークルが派遣に関わらないとすることが間違っている、という意見を最近になって聞いた。サークルが派遣に関わることを否定すると、要約筆記の依頼をする側の緊急避難的な依頼の窓口をなくすことになるから、という論旨のようだ。自立支援法ができて、基本的に市町村はコミュニケーション支援のための派遣を行なうことが義務づけられたといえる。したがって、聴覚障害者の人権や命に関わる場合には、原則派遣を受けることができる。まずは、この派遣の仕組みを整えることが第1だろう。
 しかし、そうは言っても様々な理由から、制度外の派遣の依頼というものは、残る可能性がある。緊急避難的な依頼とは、どんな場合が考えられ、それについてはどう考えたら良いのだろうか。名古屋でのサークル活動の経過も振り返りつつ、この点を補足したい。

 名古屋での要約筆記サークル「まごのて」の活動を振り返ると、1980年代においては、要約筆記者の派遣を含めて、その役割はきわめて大きかった。サークルの設立からの数年間は、要約筆記者の派遣に明け暮れたといっても良い。毎週のように、要約筆記者を探して派遣していたことを思い出す。公的な要約筆記奉仕員派遣制度は、名古屋の場合、厚生省(当時)のメニュー事業より一年早く、1984年に始まったが、サークルによる要約筆記者の派遣は、それ以降も続いた。その内訳を検討すると、派遣規定に乗らない派遣のほか(当初、宗教行事と政治活動は派遣対象外)、有料派遣の派遣費が高額すぎるため、というものが大部分だった。例えば、スクーリングの情報保障。派遣制度を運営する聴覚言語センターは、これは本来は学校側が保障すべきもの、というスタンスであり、有料派遣なら派遣するという。僅か3日間のスクーリングでも、午前午後、それぞれ3名の要約筆記者の派遣を受けると、のべ18名、派遣費用は数万円に達する。学校側が「負担しない」といえば、個人負担になってしまう。そこでサークルに支援の要請がくる、という構図だ。
 「まごのて」でも、当初、こうした依頼は引き受けていたが、「安いから」という理由で利用されるのは、どうも腑に落ちないと感じてきた。そこで、当初は、依頼者には「まごのて」に入会してもらい、本来必要な情報保障は、学校側が行なうべきだ、それは校舎の階段にスロープを付けることと何ら変わりがなく、障害の有無にかかわらず、同じ授業を受けるために必要なのだ、ということを学校側に訴えていく運動を共にしよう、という整理をした。そして、要約筆記者をサークルから派遣し、交通費はサークルで負担、依頼者には無料(サークルの年会費を払って頂く)という対応をとってきた。
 この時期、要約筆記奉仕員の公的な派遣制度はすでに存在しており、この派遣に乗らない要約筆記の依頼、いわゆる緊急避難的な依頼をサークルが受けている、という関係になっていた、といって良いだろう。なお、「緊急避難的依頼」というと、例えば夜間とか、「どうしても明日」といった依頼のイメージがあるが、こうした緊急性の高い依頼は、むしろ仕事として派遣を担っている公的な派遣制度の方が対応できる範囲は広い。サークルは地域のすべての要約筆記者を把握しているわけではないし、その窓口担当者といつでも連絡が取れるわけではない。公的な派遣制度の方が、時間的な意味での緊急性に対しては強いのではないかと思う。

 さて、上記のやり方で、派遣制度に乗らない要約筆記の依頼をサークルで引き受けてきたが、ある時、次の疑問が生まれた。それは、依頼者から見たとき、派遣制度に乗るか乗らないかは、欲しい情報保障の質には無関係ではないか、という疑問だ。要約筆記による情報保障を欲している、ということは、一定以上の質の要約筆記を求めているということであり、「サークル派遣だから情報保障の質については目をつぶる」というのは、本末転倒ではないか。もちろんサークル派遣だから質が低いとは言い切れない。しかし、サークルには、要約筆記をきちんと学んでいない人もいる、講座の中途脱落者だっている、もう長いこと要約筆記の派遣に行っていない人もいる、登録要約筆記奉仕員研修会に出たことのない人もいる、それはサークルの性質上、当然にあり得ることだ。サークルは登録要約筆記者の会ではないのだし、その活動の目的ももっと広いのが普通だからだ。
 他方、登録要約筆記者の会はどうか。そこにいるのは、少なくとも要約筆記奉仕員養成講座を受講した人だ。登録後の研修も、本来は受けているはずだ。もしここが、制度外の要約筆記の依頼を引き受けられるなら、それが一番良い。そういう考えを、2006年に結成された登録要約筆記者の会・なごやが、会として認識され、会員の賛同を得た。そして、登要会なごやの中に支援部を作り、公的な派遣制度に乗らないこうした要約筆記の依頼を、引き受けるようになった。要約筆記を依頼する側からみれば、公的な制度に乗った派遣にせよ、乗らない派遣にせよ、情報保障を受けたいという要求に変わりはない。緊急避難だから、情報保障の質がいつもと違ってかまわないという理屈はない。公的な派遣制度を担う要約筆記者(または要約筆記奉仕員)のメンバーが、制度外の派遣であっても情報保障を担うなら、こんなに望ましいことはない。また、登録要約筆記者の会が、そうした制度外の派遣の依頼の件数や内容を蓄積することにより、公的な派遣の範囲を広げる運動にも直接つなげていくことができる。サークルや個人的な対応によって制度外の派遣を処理していたのでは、行政からみれば、「それでまかなえるなら良いではないか」ということになりかねない。
 要約筆記による情報保障の場を広げていく活動の初期において、要約筆記サークルが果たした役割は、おそらく日本中のどの地域でも巨大だった。要約筆記サークルができることで、その地域の中途失聴・難聴者の聞こえの保障を押し広げてきたことは間違いがない。しかし、いつまでもサークルの活動に頼ってはいけない、と私は思う。サークル活動の意義は、参加者の自己実現や社会にそれまでなかった支援の萌芽を育てる活動という点ではとても大きい。その活動の中で、障害者が必要とする支援の形が明確になれば、それを公的な領域に移していく、という視点を持たないとサークル活動は硬直化しやすい。サークル員の自己実現が、本来の目的ではないはずなのに、得てしてサークルの存続それ自体や、サークルがそれまでに担ってきた活動への固執、ということなりやすい。「緊急避難」などという言葉が、そうした固執を正当化するために用いられるとすれば、あまりに悲しい。サークルのリーダーは、サークルの役割をきちんと整理し、自分たちが切り開いてきた活動、支援というものが公的な制度に移し替えられていくように努力することが望まれる。自分たちが切り開いてきた活動が公的な枠組みに移されることは、当事者としては少し寂しいが、自分たちには新しい活動が待っている、と受け止めたい。
 「聞こえの保障」という広い世界を見渡せば、聞こえが保障されていない場面はまだまだたくさんある。サークルが、取り組むべき先駆的な活動のフィールドはいくらもあるのだから。
  

Posted by TAKA at 01:17Comments(0)TrackBack(0)要約筆記

2007年11月08日

ムンクの光

 東京の国立西洋美術館でムンクの展覧会が開かれている(2008年1月6日まで)。しかもこの展覧会のテーマは「装飾画家としてのムンク」というきわめて珍しい切り口だという。ムンクは、二十代の前半の私には、ずいぶん気になる画家だった。手元にある何冊かの図録や画集を取り出して、作品のいくつかを瞥見する。若かった頃、この画家の何を自分は見てきたのだろうか。
 ムンクの絵に人物が描かれないことは少ない。代表作で、一人の人物も描かれていない作品といえば、「星月夜」くらいではないか。ムンクの作品における人物は、どこか輪郭が不確かで、浜辺での踊りも少しも楽しいダンスには感じられず、人は頭蓋骨を歪め、眼を幾重にもグルグルして、オーロラ輝くフィヨルドを背景にした橋の上に佇んでいる。
 印象派、例えばモネが、光がどのように私たちに感じられるかということを追求して、睡蓮の浮かぶ池の面や、カテドラルの輝きや、夕日の照り返しの中の麦わらを描いたのとは、もちろん全く異なる。モネにあっては、人物さえも、光を反射する風景の一部として扱われているという印象を受ける。同じ印象派でも、例えばセザンヌの水浴をする女性の姿は、確かに人物として描かれてはいるが、その皮膚に輝き、きらめく光がモチーフになっている。しかし、ムンクの裸婦は、まるで違う。光の輝きも照り返しも、そこにはない。
 もちろんそれはムンクが北欧の画家だということと関係があるだろう。緯度の高い北欧の国々では、太陽や月が天高く輝くことはない。水面近くにとどまり、水面に光の柱として描かれた太陽や月の光は弱々しく、南仏のそれとはおそらく全く違う光を、ムンクのキャンパスに投げかけていたに違いない。それにしても、ムンクはなぜこんな人物を繰り返し描いたのだろうか。ムンクには、人物がそう見えたから、としか言いようがないだろうと私は思う。ムンクには、人間が病の苦しみや別離の悲哀、人を愛することの不条理や嫉妬の心、そういうものによって歪み、時にはバラバラにされた存在として見えたのだ。悲しみにくれる人物には、茶の隈取りが見え、生きる不条理にとらわれた人の頭蓋骨は本当に歪んで見えたのだ。生命のダンスを踊る人々は、南国の情熱的なダンスを踊るのではない。白夜の光の中で、それでもなお灯し続ける危うい命を愛おしむように踊る。高緯度であるが故に水平線近くにとどまる弱々しい太陽や月の光の中で、命は爆発的な力によってではなく、互いの輪郭を失うことでつながる人と人の輪の中に保たれている。ムンクはそれを見て、それを描いた。

 二十代の私は、十代の自分が味わった人間関係の歪みやもつれから少し自由になっていたが、その歪みやもつれを、ムンクの人物の上に感じていたような気がする。生きることは必ずしも歓びではない、としても、私たちは生き続ける。そのとき、世界はどう見えるのか。あれから更に二十年以上の年月が過ぎた。生きることそれ自体が、歓びであることを、今の私は感じるが、それでもムンクはまだ親しい画家として、私には感じられる。  

Posted by TAKA at 23:33Comments(0)TrackBack(0)美術

2007年10月30日

「聞こえの保障」と支援者

 全難聴が、2004年から、要約筆記に関する調査研究事業を開始して、さまざまな成果を上げていることはこのブログでも何度か触れた。その成果は、事業の報告書として発行され、全難聴から入手することができる。その中でも特筆すべきは、要約筆記者の到達目標と養成カリキュラムだが、この成果物は、なかなか公的な認知に至っていない。その最大の理由は、全難聴と全要研の意見の不一致にあると言っていい。これは厚生労働省の担当官が言明していたのだから間違いはない。
 いま、細かく、どこに両団体の意見の不一致、いわゆる齟齬があるのか、説明することはしないが、全国的に見て、なかなか理解されないのが、「聞こえの保障」の広さと、その一部を担う「情報保障」の関係だ。更に言えば、その場の情報を保障する「通訳としての要約筆記」の専門性だろう。前者、つまり「聞こえの保障」と「情報保障」との関係は、前々回詳しく書いた。この問題を巡ってもう一つ、うまく認知ができていないのが、要約筆記者と要約筆記奉仕員の関係だろう。この点については、このブログでも何度か書いている。要約筆記奉仕員の必要性は誰しも認めるところだと思うが、要約筆記奉仕員が大切だから、要約筆記者の養成や認定をいつまでも放置したままにしておくという対応については、私は「間違っている」と考える。なぜ奉仕員事業という制度的にも不安定な事業にいつまでも拠ろうとするのだろうか。
 制度の問題はさておき、一つ疑問に思うのは、要約筆記奉仕員にこだわる人は、通訳としての要約筆記以外の聞こえの保障の活動をどの程度した上で、奉仕員で良いといっているのだろうか、ということだ。中失難聴者に対する支援は、「通訳だけでない」とよく言われる。しかし、少なくとも必要とされている支援は、聴覚障害者に代わって電車の切符を買ったり、一緒に旅行に行ったり、飲んだりすることではないだろう。それは支援ではなく、付き合いであるとかお世話であるとか、名付けるとすれば友情であったり、親切であったりする、そういうものだろうと思う。もちろん聴覚障害者とつきあえば、聞こえない故の悩みを聞いたりするとはあるだろう。聴覚障害者の悩みを聞くといった支援も想定することはできる。しかしもしそうした支援をするのであれば、やはりカウンセリング技術の習得など、ある種の専門性が必要になる。単に気持ちがあれば支援できるというものではない。鬱病からの回復期にある患者に、励ますつもりで「もっとがんばって」と言い、病状を悪化させることだってある。「支援者である」というなら、それは「知らなかった」で許されることではないだろう。
 中途失聴・難聴者を支援するというのであれば、「聞こえの保障」の領域での支援の必要性が見えないはずないと思う。私が属している名古屋の要約筆記サークル「要約筆記等研究連絡会・まごのて」は、そうした支援の必要性が見えたから、さまざまな支援活動に取り組んできた(サークルに中途失聴・難聴者がたくさん加わって共に活動を担っていたということも大きい)。その場の通訳としての要約筆記も、勿論サークル活動の初期においては中心的な課題として取り組んできたが、要約筆記奉仕員の公的な養成に引き続いて派遣が公的に始まると、サークルとしての中心的な活動を、映画の字幕制作と上映、プラネタリウムの字幕付き上演などに移してきた。そんな活動領域の遷移を予め見越した訳ではないのだろうが、「まごのて」は、発足時に、わざわざ「要約筆記研究連絡会」として、「等」の文字をサークルの名称に含ませている。サークル活動の始まりの時点では、その場の情報保障だけが特別扱いではなかったことの証左と言えるかも知れない。
 1978年12月の設立から今日までの「まごのて」の活動の中で、「聞こえの保障」という広い活動領域があることを実感してきたし、それぞれの活動にそれぞれの専門性があることを実感してきた。「通訳としての要約筆記」だけが抜きんでた専門性を持っている訳ではなく、その活動が一番高度な活動だという訳でもない。「聞こえの保障」を求める領域の一部が、専門性を持った明確な活動領域として取り出された、というだけのこと、そう理解してきた。
 自慢する訳ではないが、「まごのて」は、おそらく全国の要約筆記サークルの中で、もっとも沢山の映画の字幕を制作してきたサークルだろう。手書きの字幕から数えれば、100本近い映画の字幕を作ってきている。また、「まごのて」は、もっとも沢山の種類の企画に字幕を付けてきたサークルだろうとも思っている。プラネタリウム(写真上)だけでなく、演劇や、電気文化科学館のシアターなど、さまざまな企画に字幕を付けてきた。ハーフミラーに映して投影される字幕、つまり鏡文字の字幕(写真下)さえ作った経験がある。遡れば、「聴覚障害者の文字放送-字幕放送シンポジウム」にリアルタイムで字幕を付けたのも、身体障害者スポーツ大会とその後夜祭にリアルタイム字幕を付けたのも、名古屋が最初だ。これらの企画は、「まごのて」が単独で実施した訳ではなく、全国の要約筆記者や高速日本語入力者との協働作業として実現したものだが、実現に向けて一定以上の役割を負っていたことも間違いがない。
 そうした活動の蓄積があったから、逆に、「通訳としての要約筆記」の専門性とその養成カリキュラムの重要性が分かるのかも知れない、と今は思う。「聞こえの保障」のこの広い領域の中で、「通訳としての要約筆記」について、ここまでしっかりした到達目標と養成カリキュラムを作ってこれたのだから、早くこの部分を専門的な活動として認め、社会福祉事業として定着させて欲しいと思わずにはいられない。奉仕員事業が残ることは何の問題もない。しかし、「要約筆記者の派遣事業」は、第2種社会福祉事業として、はっきりと位置づけられ、制度としてこの社会の中に定着されなければならない。どんなに親切なボランティアが身の回りに今いるとしても、あるいは10年後にもいるとしても、そのことと、社会的に利用可能な制度が存在する、ということは、全くその意味が異なる。
 「通訳としての要約筆記」の専門性が認められ、その派遣が第2種社会福祉事業として定着する、自立支援法におけるコミュニケーション支援事業として市町村で派遣が必須事業として行なわれる、一日でも早くそうした状況が生まれれば、逆に、残された「聞こえの保障」の領域がもっともっと見えてくるはずだ。私たちにできることは沢山残されている。落語や漫才と言ったエンターテイメントや各種施設でのショー(例えば水族館のイルカショーなど)、あるいは学校教育といった領域で、今なお、沢山の中途失聴・難聴者は、取り残されたままだ。「通訳として要約筆記」を支える制度を「要約筆記者派遣事業」として早く定着させないと、「聞こえの保障」の残された領域は、いつまでも孤立した地域の取り組みとして残されてしまう。それで良いはずはない。  

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2007年10月29日

洋画の字幕と「要約」

 名古屋で要約筆記者養成講座が始まっている(9月5日から)。その講座の中で、先日「日本語の特徴」について教えた。教えるために、日本語と要約筆記の関係をあれこれ検討していて、気づいたことをいくつか。
 一つは、これは従来から言ってきたことだが、他人の話を伝達するためには、まずその話を理解することがどうしても必要になる、そして単に理解しただけではまだ伝達にはならず、それを要約筆記者が表現して、初めて伝達行為が完了する、という点に関連している。前者、つまり他人の話を理解するためには消極的知識が必要になる。これは理解するための知識。例えば漢字が読める、言葉の意味が分かる、という知識だ。これに対して後者、つまり理解したものを表現するためには積極的知識が必要になる。これは漢字を例にとれば、要する書けるということ、言葉の意味が分かるだけでなく使える語彙がたくさんあることだ。人の話を伝達するためには、この積極的知識がどうしても必要になる。知識を、「消極的知識」と「積極的知識」に分けるのは、ロシア語通訳者の米原万里さんの著作から私は学んだ。要約筆記者は、通常日本語を母語として育った人だから、消極的知識は十分に持っている。しかし、日本語を母語としている人でも、積極的知識は、意図的に学習しないとなかなか身につかない。これが、要約筆記者が日本語を学ばなければならない第1の理由だ、と講座では話した。
 気づいたことの2番目は、要約筆記は第1言語(話しことば)から第2言語(書きことば)に向けて通訳されるということに関連している。その場の情報保障として用いられる要約筆記は通訳行為だと私は思っているが、一般の通訳、要するに異言語間の通訳の場合、通訳者は通常、通訳される対象となっている言語を母語としている人ではなく、通訳されてくる側の言語を母語としている人が行なう。翻訳の方がこの関係はわかりやすいから、翻訳を例にとるが、サリンジャーの英文(第1言語)を日本語(第2言語)に訳すのは日本人(例えば村上春樹氏)だし、源氏物語(日本語=第1言語)を英語(第2言語)に訳すのは、日本人ではなくアメリカ人、例えばサイデンステッカー氏だ。これは最初に挙げた「積極的知識」に関連している。つまり表現するためには積極的知識が豊富であることが要求されるから、通訳(翻訳)される二つの言語のうち、通訳(翻訳)されてくる側の言語(英→日翻訳なら日本語)を母語としている人が担当することになる訳だ。ところが、要約筆記の場合は、通訳されてくる側、つまり書きことばの方が話しことばより得意だという人は少ない。つまり要約筆記者は、通常の異言語間通訳と比べると不利な通訳を強いられている、ということになる。この点からも、要約筆記者を目指す人は、書きことばとしての日本語を学び、書きことばを強化しておかなければならない、ということになる、と話した。
 気づいた3番目の内容は、通訳や翻訳においては、「要約」という概念は用いられていないのではないか、ということだ。私たち要約筆記者は、「要約」という言葉を当たり前のよう使う。しかしよく考えてみると、「速く、正しく、読みやすく」という要約筆記の三原則に「要約」という言葉は含まれていない。他方、異言語間の通訳を考えると、そこではどうも「要約」はされていないようなのだ。映画の字幕では、英語の話しことばから日本語の書きことばに向けて翻訳されるが、そこで「要約」をしているという人はいない。仮に話しことばから書きことばへという形で通訳が行なわれる場合に「要約」が必須だというのであれば、英語→日本語であっても、日本語→日本語であっても、そのこと自体は変わりはないはずだ。しかし、前者において、「要約」という意識は見られないし、受け取る我々(例えば、洋画を字幕で楽しむ視聴者)も、そこで行なわれていることが「要約」だとは感じていない、ということだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 上記の3つの気づきのうち、3番目の話は、「日本語の特徴」とは直接は関係がなかったので、講座では全く触れなかったが、要約筆記という行為の本質を考える上では、かなり重要な示唆ではないかと感じた。そこで以下に少し敷衍してみたい。
 日本語字幕の制作者として著名であった清水氏は、ある映画(確か「旅情」)の字幕にふれて、原語にあった「ステーキが食べたくても、ペパロニを出されたらペパロニを食べなさい」という意味の台詞の字幕について悩み、「スパゲティを出されたら、スパゲティを食べなさい」という台詞に訳したという話を書いている。当時(「旅情」の制作は1955年)の日本でのイタリア料理の普及状況を考えると「ペパロニ」では通じない、と考えたからだ。ここで起きていることは、見かけ上は「言い替え」と呼ばれるものだが、実質は、映画鑑賞者(つまり我々)に制作者の意図を伝えるための「通訳(翻訳)行為」だと言えるのではないか。言い換えだけではない。映画の原語に存在する台詞であって字幕化されていない言葉というものも少なくない。しかし、面白いことに、その省略を「要約」ととらえている字幕制作者はどうもいないようなのだ。
 整理すると、洋画の世界では、映画の中の台詞(話しことば)を字幕(書きことば)にしており、そこでは話しことばの逐語訳など行なわれていない。字幕制作者は、映画制作者の意図を映画鑑賞者に伝えるために、省略や言い換えなどを駆使しているが、そのことを「要約」とはとらえていない。字幕制作者は、その行為をおそらく「翻訳の一種」としてとらえているらしい、ということになる。
 映画字幕の翻訳の場合、目指されているものは、次のような行為だと思う。
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 日本語以外の言語の話しことばにより表現された「内容+表現」
     ↓(時間をかけて作業可能)
 「内容+表現」を、日本語の書きことばにより表現
  (文字数の制約あり)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに対して、要約筆記の場合、行なわれているのは(あるいは目指されているのは)、次の行為ではないか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日本語の話しことばにより表現された「内容+表現」
    ↓(その場での作業)
 「内容」を中心に、日本語の書きことばにより表現
  (文字数の制約あり)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 という関係になる。映画の字幕では、字幕の制作者は、字幕の言語を母語とする人であるのに対して、要約筆記では、書き手は、広い意味では日本語を母語としているものの、書きことばを母語としている訳ではないことを考えると、要約筆記は、やはり相当困難な作業だといえるだろう。私たちは、「日本語の書きことば」を母語として使いこなせるように、相当の研鑽を積まなければならない。  

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2007年10月28日

「聞こえの保障」と「情報保障」

 このブログでしばしば「聞こえの保障」という言い方をしてきた。これに対して、最近は「情報保障」ということが多い。「聞こえの保障」と「情報保障」とは何が違うのだろうか。このことを考えるためには、まず「情報」とは何か、ということを明確にする必要がある。
 「情報」という言葉は便利なので気軽に使うが、よく考えるとなかなか定義することが難しい。人間が五感で感じるもの(知覚や感覚)であっても、広く「情報」と呼べないことはない。しかし、「情報保障」という場合の「情報」は、人の判断や行動の意志決定をするために役立つものを意味している。では、人の判断や行動の意志決定をするにめに役立つものがすべて「情報」かというと、必ずしもそうは言えない。「情報」とは、人の判断や行動の意志決定をするにめに役立つもののうち、その場でもたらされ、その場で必要になるものを意味していることが多い。時間が経てば、判断や行動の意志決定に役立たなくなることも多いからだ。台風で大雨が降り、河川が決壊しそうだというとき、自宅近くの川の水位や地域の降雨量などは重要な情報になる。避難するかどうかの判断の材料になるからだ。しかし、数日前のその川の水位や、あるいは今日の水位であっても遠く離れた河川の水位は、情報としてはあまり意味を持たない。この場での自らの判断や行動の意志決定のために使えないからだ。
 では時間に関係なく、いつでも役に立つというものはないのだろうか。もちろんある。通常そうしたものは「知識」と呼ばれるのではないだろうか。「この辺りは去年の台風でも水に浸かった」という知識があり、「今日の降雨量は、去年の台風並」という情報が入ってきて、「では、早めに避難所に避難しよう」という判断が生まれる。避難所の場所も、広域避難所として予め知らされている場合は「知識」として役立つし、町内会の組長さんが「今日は○○に避難して」と教えにきてくれれば、「貴重な情報をありがとう」ということになる。
 まとめると、「情報」とは、人の判断や行動の意志決定に役立つものであり、その場でもたらされ、その場で役立つもの、ということができる。
 こう考えれば、「情報保障」とは、人が判断したり行動の意志決定をしたりするために、その場でもたらされるべきものを保障すること、を意味していることが分かる。ちなみに「保障」とは、本来あるべきものが守られている状態を指している。これが一度失われたものをつぐなうという意味の「補償」との差異だ(したがって、「安全保障条約」は安全な状態を守るためであり、「戦時補償」は戦時の損失を補うため、と理解できる)。
 「聞こえの保障」は、聞こえることすべてを、本来あるように守りたいという意味になる。聞こえることすべてが「情報」として、人の判断や行動の意志決定のために用いられる訳ではない。私たちは、音楽も聴くし落語も楽しむ。それらは、私たちの聞こえの世界を形作ってはいるが、通常は「情報」としては扱われていない。したがって、聴覚障害者にとって聞こえの保障を求めるとは、「情報」も「情報でないもの」も等しく、つまり音声として聞こえているものを、聞こえる人が感じ、理解できるように、同じように感じ、理解したい、という要求だと言うことだ。その要求は、基本的人権の上に立つものであり、人として当然のものだということができる。しかし、現実には、すべてを直ちに保障することは難しい。技術的に難しいという場合もあるし、財政的に困難ということもある。テレビ放送の字幕を例にとれば、生中継などは、字幕の作成が困難として、2007年までの字幕化の対象とはなっていない。
 いずれにせよ、この社会にあって、本来実現されるべきことであっても、優先順位を付けて取り組まざるを得ないことは多い。何十年も前に建造され、現在の耐震基準を満たさない建物であっても、直ちに使用中止とされたり取り壊されたりするわけではなく、一定の猶予期間のうちに耐震工事がなされるように義務づけられるにとどまっている。もっと言えば、「人命は地球より重い」と言いながら、交通事故で年間数千人が死亡するという事態は何十年も完全には解決されないままだ。そこには、現在の社会のあり方を前提として、優先順位を付けて取り組むという対応がある。社会的に「そうすべきだ」という強い合意ができないものは、後回しにされてしまう。
 テレビ放送の完全字幕化などは、すでに技術的な問題は解決可能な状況にあるから、最後は予算の問題だと言って良いだろう。中途失聴・難聴者の運動が力強いものになって初めて、完全字幕化は、この社会での優先順位が上がることになる。
 では、「聞こえの保障」の全体ではどう考えたらよいのだろうか。本来は、そのすべてが早期に保障されるべきものであるとしても、現実には優先順位を付けざるを得ない。とすれば、「聞こえの保障」の全領域のなかで、優先されるべきは「情報保障」の部分だろう。なぜなら、それは、聴覚障害者が、自ら判断し自らの行動の意志決定するために必要な情報を保障することだからだ。ここが支えられなければ、聴覚障害者は自ら判断し、自らの行動の意志決定を十全に行なうことが困難になる。いくらスポーツ中継や落語番組に字幕を付けたところで、聴覚障害者の判断や、その行動の意志決定を支えることはできない。逆に言えば、情報保障があれば、聴覚障害者は自らの行動の意志決定を行ない、それこそ、テレビ放送の完全字幕化の運動に立ち上がることもできるのだ。
 これが、手話通訳や要約筆記が、第二種社会福祉事業として位置づけられている(社会福祉法第2条第3項第5号)理由であり、聴覚障害者のコミュニケーション支援事業が、市町村の必須事業とされている(障害者自立支援法第77条第1項第2号)理由だと私は思う。スポーツや文化の享受がないがしろにされて良い訳ではない。しかし、現在の日本の社会は、そこに優先順位を付け、「情報保障」を含む「コミュニケーション支援」については、規制と助成を通じて(社会福祉事業)、必ず実現すべきものとして(必須事業)、法律に規定したということができる。
 では、「聞こえの保障」のうち、「情報保障」以外の部分、もっと広く言えば「コミュニケーション支援」以外の部分は、どのように扱われているのだろうか。この点は、また別にまとめることにしよう。  

Posted by TAKA at 22:30Comments(0)TrackBack(0)要約筆記

2007年10月21日

不自由さの自由

 以前に「時代小説は窮屈な小説だ」と書いた。窮屈な小説の対極にあるのが、コミックだなーと思っていた。何しろ非現実的なことでも自由に起こして良いのがコミックだから。四次元ポケットとかどこでもドアなんてものが、平気で描ける。コミックは、一人で監督から俳優から大道具までできる。だから、1970年代以降、日本の映画会社が、助監督制度を廃して監督の養成をやめてしまった後、本来なら映画監督になった才能は、コミック(漫画)に流れた、という説があるくらいだ。例えば、「童夢」や「AKIRA」の大友克洋などは、映画監督の道があれば、きっと監督になっていたのではないか。コミックなら、自分一人で何でもできる、自由にできる。
 しかし本当にそうだろうか。「地平線でダンス」という奇妙なコミックがある。あらすじを書いたら、読んだ人は、何が面白いんだろうと不思議になるかも知れない。でも面白い。どうしてこの作品が面白いのか、と考えているうちに、面白いコミックに存在するある種の共通点に気づいた。それはコミックにおける不自由さ、ということだ。
 コミック(漫画)は、確かにきわめて自由なメディアだ。実写ではないから、どんな世界でも描ける。月世界の宇宙基地もリアルに描けるし、火の鳥だって描ける。潜水艦の中でも、登場人物の内面のつぶやきだって、書ける。そういう自由なメディアだからこそ、おそらく面白いコミックを作るためには、作品の中に、不自由さがなければならない。
 「地平線でダンス」では、タイムトラベルを試みる機械に誤って実験動物のハムスターに閉じこめられて、主人公である春日琴理(素粒子加速器研究所研究員)はハムスターになってしまう。意識は本人だが、身体はハムスターだ。したがって、とても不自由。その後、彼女は今度は犬になるが、本質は変わらない。元(?)研究員の彼女は、タイムトラベルの理論を支える高等な数式を解くが、それを人間の研究員に伝えるのは一苦労だ。恋もしている。とても不自由に。
 かつて「ナニワの金融道」という傑作があった。このコミックでは、街金という非合法すれすれの金融業者のところに就職した比較的まじめな主人公が、どう生きるか、というテーマの元で、様々な街金のテクニックが披露される。先物取引に嵌り、保証金の追い金が必要なり、街金に借りに来て、だんだんは深みに嵌っていく客。その客から、合法的に、財産をむしり取っていく。ただの悪徳業者の実態を描くというのであれば、この「ナニワの金融道」が傑作になったはずはない。街金の舞台に、まじめに生きたいと願う灰原という主人公を置く。名前からして、白でもなければ黒でもない彼の不自由さがあって初めてこの作品は活きたのだと思う。
 浦沢直樹の「PLUTO」の不自由さは、手塚治虫の原作があることか。曽田正人の「昴」の不自由さは、主人公・宮本昴の社会性のなさか。などと考えるのは楽しい。コミックは今なお、その表現の領域を拡大中だが、面白いコミックは、優れた不自由さが仕込まれている。  

Posted by TAKA at 23:16Comments(0)TrackBack(0)読書

2007年10月12日

通訳としての要約筆記−承前

 前回、要約筆記が通訳として機能させることを困難にした理由について、私の考えるところを書いた。では、なぜ要約筆記は通訳として機能しなければならないのか、そのためには何が必要なのか、について考えるところを書いてみたい。
 前者については、すでに何度かこのブログに書いてきたが、要するに、要約筆記の目的をその場の情報保障に求めたからだ。9月20日付けのブログ「聞こえの保障と要約筆記」に表として示したものを再掲する。
 横軸:前もって準備できるものか、その場で対応するしかないものか
 縦軸:話の内容が重要か、どんな風には話されたかといった表現が重要か
        内容が重要
  ☆       ↑    ★ 会議
事         |    講演
前 ◆映画  プラネタリウム
に←————————┼——————→その場で発言
準     芝居  |
備         | 
       落語 ↓
        表現が重要
   (等幅フォントで表示してください)
 要約筆記が用いられる対象を、その場で話されるものであり、内容を重視するもの、と考えると、伝えるべきは内容であって、どのような話されたか、といった側面は後回しにせざる得ない。これも繰り返しになるが、聴覚障害者に対する情報保障のすべての領域に対して、私は「通訳として」の行為が必要になると言っているのではない。この表の中で言えば、「通訳としての要約筆記」が求められる領域は右上のわずかな部分だ。それ以外の領域、例えば映画の情報保障は、「通訳として」の行為ではない。また、内容よりもその表現を重視する領域(図の下方)でも、「通訳として」の行為だけでは対応できない。
 しかし、この図の右上の領域については、逆に通訳としての要約筆記でなければ対応できないと考えている。というか、この領域で、聴覚障害者を本当の意味で支援するためになされている行為を、「通訳として要約筆記」と呼んでいるということなのだ。その場で話されている内容をその場の参加者に伝え、その場の参加者が、伝えられたものによって自らの考えをまとめ、判断し、参加できる、そのための情報保障の姿はどのようなものか、それが問われているのだ。
 このとき、伝えるべきは、まずなにより内容だ。話題となっている事項に対する話し手の意見や、話し手の立場、つまり賛成か反対かが問われているのであって、大阪弁で意見を言ったか、あるいは賛成したか名古屋弁で反対したかが問われている訳ではない。次に、伝達行為の遅れには許容限度があることも大きい。要約筆記を使う聴覚障害者の、その場への参加を保障しようとすれば、遅れは、話し終わりから、10秒程度までしか許容されないことが多いだろう。これらの条件を満たそうとすれば、要約筆記者が行なう行為は、話し手の言葉ではなく、話し手が自らの話で伝えようと願った意図を、できる限り短い書きことばで、再現しようとする行為以外考えられない。にもかかわらず、要約筆記者が、話し手の使った言葉を大切にしようとする理由は何だろうか。畢竟、話し手の言葉は、話し手が自らの言葉で伝えようと願ったものをよく表わしているという理解ではないか。しかし、言葉を丸ごと再現できない限り、話し手の言葉それ自体が、話し手の伝えようとした意図を最もよく伝えることにならないのだ。
 相手との関係を配慮して、例えば「あまりお引き留めして、後のご予定に差し支えては、と心配しておりますが。」と話したとき、その配慮の気持ちは、そこで用いられた言葉のすべてを、百歩ゆずっても大部分を再現しない限り、十全には再現されないし、伝えられない。書き取れる文字数の制約があるとき、話し手の言葉を使って、「お引き留めしては?」とか、「心配しておりますが?」とだけ要約筆記の画面に書かれたとすれば、話し手の意図は、伝わらない可能性が高い。まして「あまりお引き留めして」まで書いて後が書けなければ、なにも伝わらない。この例で言えば、「退席されては?」と書いた方が、話し手の意図は少なくとも伝わるはずだ。
 その場の情報をその場で保障する、しかも内容を重視して伝える、という場面に限れば、要約筆記は、話し手の意図の伝達をその使命とすることは明らかではないだろうか。話し手の意図の伝達という目的、そのために、第一の言語形態(ここでは話しことば)によって語られた話し手の意図を、第二の言語形態(ここでは書きことば)によって伝えようとする、と考えれば、これは言語間の通訳が目指すものとなんら変わりはない。第一の言語形態に例えば英語を、第二の言語形態に例えば日本語を、それぞれ入れてみれば、これは明らかだろう。要約筆記は、この意味で、「通訳」と呼んで差し替えない。

 では、第一の言語形態(ここでは話しことば)によって語られた話し手の意図を、第二の言語形態(ここでは書きことば)によって伝えること、結果的に、話し手の意図を伝達するという目的は、どのようにして達成されるのか。その問いに対する回答として、全難聴が2005年度の要約筆記に関する調査研究事業でまとめた「要約筆記者養成カリキュラム」とそのテキスト以上のものを、現時点では私は知らない。このカリキュラムの背後には、十分とは言えないが、それまで誰も取り組まなかった話しことばに対する実証的な検討がある。日本語の話しことばの運用に対して、その話され方がどのような意図に基づくのかという検討がある、同じ内容をより短く表現する場合の原則と例外を類型化しようとした取り組みがある。そこを見て取らなければ、この「要約筆記者養成カリキュラム」を理解したことにはならない。
 2000年以降に、主に東京で、個人名をあげれば、東京の要約筆記者である三宅初穂氏によって行なわれたこの実証的な検討は、それまで誰も取り組まなかった類のものだ。おそらくは、話しことばの録音と、実際に書かれた要約筆記のシートを使ってなされたその考証は、日本語を普通に使っている人の気づきや思いつきのレベルを越えて、話しことばによる意図の伝達の仕組みに迫る初めての取り組みになった。
 通訳としての要約筆記、つまり聞こえない人、聞こえにくい人の権利擁護のために役立つ要約筆記を実現しようとする私たちに求められているのは、この実証的な検討を押し進めることだ。三宅氏は、その検討の成果を「話しことばの要約」(発行:杉並要約筆記者の会「さくらんぽ」)など何冊かの本にまとめて上梓されているが、実証的な検討それ自体はほとんど明らかにしていない。しかし、実際に行なわれたその実証的検討の内容と意味を知り、その道を、要約筆記者を養成しようとする者が通らないと、「通訳としての要約筆記」は、本当の意味では成熟しないのではないか。三宅氏の取り組みの成果だけを学ぶのではなく、その取り組みの課程を学ばなければ、本当のところで、話し手の意図を、手書きの書きことばによって通訳する道は、拓けない。
  

Posted by TAKA at 02:20Comments(0)TrackBack(0)要約筆記
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TAKA
コミックから評論、小説まで、本の体裁をしていれば何でも読む。読むことは喜びだ。3年前に手にした「美術館三昧」(藤森照信)や「個人美術館への旅」を手がかりに、最近は美術館巡りという楽しみが増えた。 大学卒業後、友人に誘われるままに始めた「要約筆記」との付き合いも30年を超えた。聴覚障害者のために、人の話を聞いて書き伝える、あるいは日本映画などに、聞こえない人のための日本語字幕を作る。そんな活動に、マッキントッシュを活用してきた。この美しいパソコンも、初代から数えて現在8代目。iMacの次はMAC mini+LEDディスプレイになった。       下出隆史
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